選考委員による総評

総評2021

  • 中井 祐
    東京大学大学院工学系研究科(社会基盤学専攻)教授
    景観・デザイン委員会 デザイン賞選考小委員会 委員長
    土木デザインと公共の価値
    2021年度は、総数20件の応募をいただいた。7月28日に第一次書類審査により第二次審査の対象17件を選定し、10月26日には各委員による実見報告をもとに第二次審査を開催、その後、さらに二作品について補足の実見を行った上で11月8日に追加の審査委員会を開催して、最優秀賞2件、優秀賞5件、奨励賞4件を決定するに至った。残念ながら選外となった作品も含め、応募くださったすべての関係各位と、本賞に協賛いただいた団体各位に、心より感謝申しあげたい。そして受賞された方々には、心から祝意と敬意を表したい。

    審査の過程はたいてい、なにをもって土木のデザインなのか、という毎度の議論が白熱するが、きまって登場するキイワードは公共性である。そこはだれも否定しない。われわれが「土木のデザイン」というとき、土木は公共性の担い手だというプライドを含んでいる。ただ、土木が仕えるべき公共性とはなにか、に話がかかわると、百家争鳴状態になる。
    土木のなかには、公共性を担う主体はすなわち官(行政)であるという暗黙の前提が、程度の差はあれ、潜んでいるように思う。しかし、公共と官は一体の概念ではない。むかしは僧侶や村の有力者が、つまり官(お上)ではない主体が、地域の事情に応じて土木事業(普請)を興す例は珍しくなかった。むしろ近代以降、近代国家をつくるという名目のもと、官(行政)が公共インフラをつくる役割を独占し、公共という価値を集権的啓蒙的にマネジしてきた、とみるのが正しい。そしてその道具が土木だった。いまでも多くの公共土木空間は、事業者であり発注者であり管理者である行政の論理や都合に支配されるが、それは近代化以降の慣行であって、公共の価値の本質とはちがう。
    いま、社会的課題の多くが地域スケールで噴出し、地域主体のまちづくりの重要が叫ばれている。これからは、中央集権的に構築してきた従前の公共の価値を、多様な課題を抱えたそれぞれの地域に開き、地域の主体性にゆだねてゆくことが求められる。今年の応募作品には、選外になった作品も含めて、民間事業者や地域住民が重要な役割を担う、いわゆる官民連携やエリアマネジメントに類する事例が少なくなかった。官民の関係のパターンはさまざまだが、歓迎すべき傾向である。
    最優秀の長門湯本温泉街は、その優れた象徴である。民間の観光開発会社の関与を核に、行政と地域住民が文字通りまちぐるみで中心部の魅力再生に取り組んだ成果である。ここにあるのは、関わった主体(地域住民、行政、観光開発者)のうちいずれかの論理だけが突出して支配している風景ではない。場所柄、温泉観光という特定のテーマで演出されてはいるが、とても気持ちのよい街路空間、河川空間が実現していて、三者共同でのていねいな手づくり感が感じられる。新鮮な公共の風景である。
    長門湯本温泉街は、地域において公共の価値をつくる役割と責任を官が独占する時代の変化を、示唆している。「公共」事業も、今後はさまざまな立場で参画する主体に開かれていくだろう。そして、多角的な主体の参画の場における公共の価値というものを、地域それぞれの文脈に応じて一品生産のように、ていねいに空間や風景に具現していくことが、ますます土木デザインに期待されるだろう。それは、一面では形式的で不自由なものになってしまった身近な公共空間や地域の風景を、もう一度わたしたち(=公衆、public)の手に取り戻していく過程でもある。
    最後に、もうひとつの最優秀賞、高田松原津波復興祈念公園 国営追悼・祈念施設について述べて、総評を閉じたい。
    ともすれば大味になりがちな規模、かつ単純な空間構成なのに、隅々まで緊張感に満ちていて、思わず背筋がのびる。巨大な防潮堤上に設けられた海を望む場に佇めば、眼前に向き合う海の青さはもちろん、振り返りみる祈念施設越しの気仙の山並みのたおやかさに、心打たれる。比類のないデザインの力。まさに復興祈念の名にふさわしい。いわゆる公共空間という場で優れたデザインの精神がなしうること、その可能性が余すところなく示されている。
    二つの最優秀作品に実現している公共の価値は、相補的な関係にあるといってもよいかもしれない。手づくりの親しみやすい公共と、普遍的で力強い公共。きっとどちらも、いまのわたしたちの社会が必要としているものだ。この二作品に最優秀賞を授賞できることに、審査委員長としておおきな喜びを感じている。
  • 石川 初
    慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科 教授
    土木のスケール、土木の時間
    本年も素晴らしいプロジェクトを実見する機会を得た。残念ながら入選しなかったものも含めて、それぞれ意義深い仕事ばかりであった。関わられた皆様の仕事を讃えたい。
    土木の定義は様々にありうるが、方法としては、ある土地における問題について、より広域の事象に対する工学的な解釈を施設化することで、その問題をひとまとめに解決しようとする技術であると言うことができるだろう。広域の事象と実空間との間に齟齬や乖離が生まれるところに、土木の「デザイン」の必要性がある。ゆえに、より広域の事象からの問題解決が見えない、対象地への同スケールのデザインは土木として評価できないのではないか。これが今回もっとも長く激しい議論が行われた点であった。今年度の授賞にはこの議論の結果、スケールの広域は時間でもあるという見解が反映されている。
    土木学会デザイン賞は20年続いている。遡ってみるとそれぞれの年代の傾向や特徴が見え、すでに歴史が感じられる。むろんこのデザイン賞だけが土木の概念を再考する機会ではないし、ある年の優れた土木デザインに授賞することがそのまま土木の概念を更新するものだとは言いがたいが、これも歴史をなすものだ。20年後に振り返ったときに、今年度の授賞作品もまた土木の概念の変遷史の一部としてこの時代を物語るだろう。
    造園/ランドスケープの専門家という立場でデザイン賞をお手伝いした者として反省も込めて言うと、土木デザインとしてのランドスケープの議論はまだ素朴で甘いと思う。今後も議論が継続され、土木としてのランドスケープの批評が鍛えられることを願っている。
    この3年間、他では得られないような貴重な経験をし、大変勉強になった。ありがとうございました。
  • 柴田 久
    福岡大学工学部社会デザイン工学科 教授
    豊かにする土木デザイン
    過去の先輩委員の総評などから、ある程度想定はしていたつもりだったが、今回初めて審査委員として携わり、土木とは何であるか、またそうした土木のデザインが見据えるべき成果とは何なのかについて改めて考えさせられた。土木とは公共の用に供し、広く人々の生活を支えるインフラストラクチャーという認識に異論は少なかろう。今回審査された作品もインフラとして位置づけられる様々な構造物、施設、特定の空間などであった。それら作品の造形が良質なものであるか、さらにその成果として、前述した人々の生活や行為そのものをより豊かなものに導いているかが吟味されたように思う。実見を踏まえ、機能性は勿論、場所性、歴史性、あるいは利活用への貢献、積み重ねられた協働のプロセスなど、土木のデザインとしてそれらがどのように結実しているのか、熱のこもった議論であった。誤解をおそれずに言えば、実現された土木のデザインに対し、普通ではない、ある種の心を動かす迫力、癒し、気持ち良さなどが、委員の間で共感されたか否かが最終的な決め手になったように思う。最優秀賞に輝いた「高田松原津波復興祈念公園 国営追悼・祈念施設」と「長門湯本温泉街」はそれらが顕著であり、受賞した全ての作品が今後の土木デザインを発展させていくうえで示唆的なものと評価したい。
    ご存じのように土木の仕事は長期にわたり、しかも大規模であるため、多くの人々が携わる。それ故に見えにくくなる個々人の尽力についてもしっかりと称賛したい。受賞された関係者の皆さんに心から敬意を表すとともに、願わくは作品がある地元の方々にも受賞を喜んで頂ければ有り難い。人々の生活を支え、豊かにする土木のデザインは、人々に愛され、より豊かになるものだから。
  • 千葉 学
    東京大学大学院工学系研究科建築学専攻 教授/千葉学建築計画事務所
    土木デザインとは何か
    今年の審査会で印象深かったのは、土木デザインか否か、が度々問われたことである。つまりその作品を土木デザインとして評価するべきか、あるいは他の領域に委ねるべきか、といった議論である。確かにそれぞれの領域に職能があり、固有の技術や規範がある。それは十分に尊重されなくてはならない。しかし一方で、僕たちを取り巻く環境には、そのような領域の境界は存在せず、どこまでも滑らかに繋がっている。加えて近代化の過程で必要な構築物は、もう十分に作ってきたし、それらは相互に複雑に絡み合っている。それを支えた技術もある程度の成熟を迎え、先端的であることだけに価値を置ける時代でもない。そのような空間と時代に必要なデザインとは何か。それは、作品ができることによってその「土地の潜在的な魅力が炙り出されてくる」こと、この一点に尽きるのではないかと思う。もちろんそれはインフラでも建築物でも構わないし、領域横断的デザインだっていい。そこに必要な技術が素朴なものであるべきならば、先端技術と同等に評価して当然なのだ。
    今年の応募作品は、歴史ある温泉地や駅前広場、公園のリノベーションもあれば、役割を終えた土木遺産や現行インフラを今日的なコンテクストの中で読み替えて改修する計画もあった。もちろん新たな土木的構築物が、地域の魅力を浮かび上がらせるものもあった。そのいずれもが、この「土地の潜在的な魅力の炙り出し」に通じるものばかりだったと思う。だからこそ土木デザインか否かという議論が繰り返されたのだと思うが、それはデザインとは何か、土木や建築といった領域の定義は何か、この審査する側の目線こそが問い直されていたのだと思う。
  • 長町 志穂
    (株)LEM空間工房 代表取締役/京都芸術大学環境デザイン学科 客員教授
    人を育む土木デザイン
    国内の各地にはバブル期あるいはそれ以前に整備された公共空間が多数存在する。それらは、今日の公共空間で求められる「人が過ごしやすく生き生きと活動できる」というようなコンセプトでは元々つくられてはおらず、「使われないあるいは使いづらい公共空間」も多数見受けられ、それらの改修をどのように実現させていくのかは、今後の公共デザインにとって大きなテーマであるといえるだろう。
    今回、本賞を受賞した11作品のうち、多数の作品がそういった意味で「今日的な人の活動のニーズ」に対して環境をアップデートしたものであったことは非常に興味深い。エリアマネジメントの仕組みを前提とした大規模な土木改修である「長門湯本温泉街」や「南町田グランベリーパーク」、今日的滞留を前提としたランドスケープ改修である「藤沢駅北口ペデストリアンデッキ」「九段坂公園」など手法は異なりながらも、それぞれ以前には見受けられなかった市民や来街者による活発な公共空間の使いこなしが実現されている。
    一方、もう一つ全員一致で大賞となった「高田松原津波復興祈念公園 国営追悼・祈念施設」は、最大幸福をめざす他の作品とは全く異なる強烈なメッセージを審査員に投げかけた。土木デザインとは何か、風景とは何かを議論するきっかけでもあり、強力であり無力でもある土木デザインのチカラについて議論は尽きなかった。
    多くの改修作品に対し「従前の環境に敬意をもっているかどうか」という議論があった。私はこの時間の視点こそ歴史を重ねていくことを使命とする「土木デザイン賞ならではのまなざし」だと思う。新規性以上に、その場所に対する洞察や歴史の理解、遠い将来にわたる価値の可能性を議論するこのデザイン賞は本当に素晴らしい。
  • 八馬 智
    千葉工業大学創造工学部デザイン科学科 教授
    土木デザインの時間軸
    選考委員として3年目となる今年も、数多くの応募作品の素晴らしさと、選考時の議論の面白さに、とても大きな刺激を受けた。応募されたみなさま、どうもありがとうございました。そして、受賞されたみなさま、まことにおめでとうございます。
    選考においてはこれまで通り、さまざまなジャンルの応募作品の表層にあらわれた、いわば狭義のデザインのクオリティを評価することはもちろんだが、土木デザインを取り巻く環境や価値観の変化といった、射程の広い視座で議論が進められた。つまり、「いかにつくるか」という限られた予算や時間の中で実施する課題解決への評価に加えて、「なにをつくるか」という社会的な意義に踏み込んだ問題発見や問題提起への評価が、結果に色濃く反映されていると言える。
    特に今年は、どのような価値を過去から読み解き、未来に引き継いでいくのかという「時間軸」に関連する評価観点が、あらためて顕在化したように思う。それは、既存の施設や空間をリニューアルすることで新たな価値を創造している応募作品が多かったからであろう。過去を安易に否定あるいは無視してリセットするのではなく、取り巻く環境や先人たちへのリスペクトを織り交ぜながら、既存の価値を丁寧に掘り起こして層状に積み重ねていく姿勢を評価したように感じる。
    土木デザインが持つ時間軸は、一般的な消費財のそれとは大きく異なる。プロジェクトの大小によらず、その場所の履歴をジオスケールで読み取り、その時々の技術を駆使しながらヒューマンスケールでの配慮を重ね、社会環境の変化が引き起こす「時の試練」に耐えることが求められる。その点は本賞の「ものさし」における本質的な特徴のひとつであろう。そのことを強く感じる選考だった。
  • 星野 裕司
    熊本大学くまもと水循環・減災研究教育センター 准教授
    15年のあいだ
    今年から審査委員を務めさせていただくこととなった。刺激的な作品や議論に触れることができ、応募していただいた皆様へ、感謝の意を表したいと思う。
    事務局で主査をしていたのが、2005年と2006年であったから、およそ15年ぶりの土木学会デザイン賞への参加である。この15年の間には、当然さまざまなことがあった。まずは東日本大震災をはじめとする自然災害の頻発化が思い当たる。また、まちづくりでは、整備だけではなく、利活用を重視する姿勢が前景化してきたことも大きな変化だろう。そのような視点から、主査をしていた当時に受賞作品と今年の受賞作品を比べてみると非常に興味深い。
    今年の最優秀賞の「高田松原津波復興祈念公園 国営追悼・祈念施設」は内藤廣氏の設計だが、2006年最優秀賞の「牧野富太郎記念館」も同様に内藤氏の設計である。一方、もう一つの最優秀賞は「長門湯本温泉街」だが、同様に2006年には、「小布施まちづくり整備計画」が最優秀賞であり、ともに地方の活性化を目指したまちづくり的な整備である。前者の間には東日本大震災があり、後者の間には合意形成の方法や市民協働の重要性などの変化があるように思う。しかし大切なことは、変わらないものである。これら四つの作品には、デザインの背後に、深い「問い」があるのではないか。今年の作品に限って言えば、巨大な防潮堤によって守られる私たちの暮らしとは何か、600年前から享受してきた温泉という自然の恵みを未来に引き継ぐためには何が必要か、という「問い」である。与えられた課題を解決すること以上に、優れた「問い」を創造すること、ここにこそデザインの本質があるのではないかということを改めて実感させてくれる審査会であった。
  • 松井 幹雄
    大日本コンサルタント株式会社 執行役員 技術統括部 副統括部長/東京工業大学 非常勤講師
    前後左右への眼差し
    応募者の皆様における、歴史(前)と未来(後)と土地全体(左右)に対する眼差しと実践の熱量を、応募書類を読み込み、現地を訪ねた観察結果をもとに考察を重ね、議論を尽くして今回の選考結果にたどり着いた。その過程では、未来を拓く試みとして優れていた事例が、歴史に対するリスペクトが十分か否かとの議論に至り、個人としても、土木デザインが目指す価値の再認識を迫られた。「松原図書館」を選定した際は、価値評価の見方を大きく揺さぶられ、自身の視野が広がる思いがした。この事例の他も、実態が掴みにくい「可能性という価値」を見出し、未来に繋げようとする委員の姿勢と勇気が凝縮した議論の連続だったと振り返っている。今回、初めて選考する立場になったが、応募書類の重要性を身にしみて感じた。記述が杜撰で評価を落とす事例がある一方、記述されていない価値を、実見を基に見いだし議論を重ねた例も多数であった。説明でなく、もう少しビジョンを語ってもらえれば良いとも感じた。議論の際、私自身の専門分野に対する発言は常に辛口だったようで、そう指摘された時は苦笑するほか無かった。つい、もっと出来たはず、と欲が出たのだと思うし、その視座を提示した上での判断に繋げたいと願ったからでもあった。このように、選考会議は土木デザインの価値を見いだす訓練の場であったり、評価基準を戦わせる場であったりした。委員の間にも適度な緊張と協調が混ざり合い、それ故に知的興奮に満ちた濃密な時間であった。改めてエネルギーを注いで応募していただいたい方々全員に感謝申し上げます。その熱量に恥じない真摯な選考審査ができたと思っています。ありがとうございました。