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2025
星野 裕司
土木デザインの難しさと豊かさ
2025年度は、総数29件のご応募に対して、7月29日の第一次書類審査において23件の実見対象作品を選定した。その後、10月27日の第二次審査では、複数の審査委員による実見報告を丁寧に突き合わせ、対象地の状況だけでなく、そこに至るプロセスを重視しながら慎重な議論を重ね、最優秀賞2件、優秀賞8件、奨励賞6件の授賞を決定した。まずは、残念ながら選外となった方々も含めて、ご応募いただいたすべての方々、そして本賞にご協賛・ご支援いただいた皆さまに、あらためて深い感謝の意を表したい。
土木学会デザイン賞は、その対象範囲が広い。橋梁、河川、広場、公園、さらに建築にまで及ぶ対象を、同じテーブルで評価するという点では、いわば異種格闘技戦のような側面を持つ。そのため審議は必然的に多角的となり、判断は容易ではない。しかし一方で、土木という営みの本質や、質の高いデザインとは何かを議論する、またとない機会ともなる。異なる領域の視点が交差し、それぞれの専門性が照らし合う中で、デザインの奥行きが立ち現れてくる。
土木構造物は、その他の人工物に比べて操作できる要素が限られており、前提条件がそのまま姿に現れる性質が強い。だからこそ、設計の条件を形づくる計画段階の重要性は極めて大きい。また、設計段階においても、与えられた条件を単に受動的に受け取るだけでなく、それが本当に妥当なのか、変更の余地はないのかを問い直す姿勢が求められる。そこには、設計者の意思と、発注者側の柔軟な理解の双方が不可欠である。つまり、土木のデザインの質は、完成した形の美しさ以前に、計画段階の思想と判断力に強く規定されるのである。
さらに、デザインとして成立させるためには、対象物の特性についての深い理解が不可欠である。橋梁における構造力学や、河川における水理学といった力学的把握は当然として、加えて施工時の環境負荷、維持管理の現実性、運用の持続可能性といった要素まで視野に含める必要がある。そして、どれほどの僻地に位置する施設であっても、人が使う場である以上、人の動線や居心地、周辺環境との接続を丁寧に考える都市計画的な配慮も欠かせない。これらの視点が多層的に絡み合う中で、それらを矛盾なく統合していく総合力が土木デザインに求められる。
一方で、土木が対象とするのは、多くの場合“公共”である。しかし、その公共を担う主体は本当に行政だけか。近年の公民連携やPark-PFIのような取り組みは、従来の暗黙の前提に対する問いかけであり、公共の担い手のあり方が広がりつつあることを示している。本年の受賞作には、Park-PFIに限らず、民間の敷地をそのまま公園として開放した事例や、伝統的な道普請の現代版ともいえる、地元有志の寄付によって公共空間を整備したものもみられた。これらはいずれも、公共という概念を広い射程で捉え直そうとする実践であり、大きな意義を持つ。だからこそ、公共とは何かという問いに、私たちはもう一度立ち返る必要があるだろう。どれほど多様な人を受け止めようとしているのか、どれくらいの時間的な持続性を意図しているのか。これらは民活事業だけの問題ではなく、一般的な公共事業においても常に問われるべき視点である。
本年の受賞作は、ここまで述べてきたような困難や複雑さに対して、長い時間をかけて丁寧に取り組んだ成果であると感じている。関係された多くの方々の努力に、心から敬意を表したい。では、賞の差はどこに生まれたのか。振り返ると、ものや場所が持つあり方が、静かな佇まいへと昇華できているかどうかが、大きな鍵であったように思う。土木は、一度つくられれば数十年、できれば百年、二百年という時間を支える存在である。その時間に耐える空間は、あるべきものがあるべき姿であるという、必然性の域に達している必要があるのだろう。
最後に、今年は審査委員長を拝命しての最初の一年であった。責任は想像以上に重く、無事に終えられてほっとしている。しかし同時に、この一年を通じて得られた充実感は、それ以上のものであった。土木デザインとは、なんと豊かな営みであろうか。これは私の偽りのない実感である。これからも多くの方々とともに、この豊かな土木デザインの土壌を耕し、その可能性をともに育てていきたいと願っている。
石井 秀幸
不変性と変容性をもつ場のデザイン
私は、いつの日か河川を設計してみたい。
そのような土木分野への興味と憧れを抱いている最中、土木デザイン賞の選定委員のお誘いを頂いたことは、とても光栄なことでした。
公益性、安全性、永続性といった不変性を重んじてきた土木デザインの思想に加えて生態系、土地の記憶、コミュニティといった変容性をもつランドスケープデザインの思想が融合することに可能性があると考えています。不変性と変容性を内包することで、自然、人間のみならず命あるすべてのものと共存できる機会を生み出すことができ、後世の人々に受け継がれていくような場を生み出せるのではないでしょうか。
審査の中では、2つのポイントに着目して審査と向き合いました。それは領域のはみだしと場の永続性です。
良い場所は、必ず領域をはみだし、周囲に影響を与えると考えています。自然、人々の交流や経済活動などさまざまな循環が生まれ、あたらしい活動へと伝播していく。そのような、領域を超えて変容性をもつデザインを評価したいと思っています。
場の永続性については、容易ではない時代となっています。人口減少などの影響は大きく、持続性のある公共空間のためには、ハードとソフトの両面で考えていかねばなりません。さらに、公民連携や民間主導のプロジェクトなどパブリックスペースのつくられ方は、多様化しています。10年、100年、1000年と続くような不変性のある場づくりに注視しながら審査をさせて頂きました。
土木デザイン賞は、事業者、関係者、専門家が取り組みの中で得た叡智を称え、次世代の人々の礎となるようなプロジェクトを広げる役割を担った重要な賞のひとつだと考えます。多くの叡智に触れ、私自身も成長させて頂きたいと思います。
太田 啓介
想像力と創造力
昨年に続き本年も多くのデザインの質の高い応募作品を見て回った。種別も多岐にわたるため、同一指標で審査することはできないが、今後の土木デザインの展開に資するデザインの強度を確認した。
橋梁や街路、河川など線的に網目状に地域とつながる作品群は、都市計画上の位置づけや周辺環境を踏まえつつ、地域の歴史や文化を読み解き、現代の技術を用いて丁寧にその土地に紐づけられたデザインとして評価した。特に史跡鳥取城跡擬宝珠橋の復元や中之島通の歩行者空間化、高尾山ふもと公園・案内川などは、その場所がまるでもともとそうであったかのような風景が自然に実現されている。あるべき姿を想像する力をもとに、操作対象の設定、施設の配置から材料や仕様の選択まで、調査、試作や実験を含む試行錯誤と高いデザイン力によって生み出されている。潜在的な姿を想像的に読み取り、あるべき風景へと導くデザインである。
公園や建築といった限られた範囲でデザインされた作品群は、物理的制約を超えて官民が協働する公共性のひろがりや利活用の展開を評価した。一般化された市民参加を超えて、計画設計から様々な人や団体が時間とともに育ち、新たなアクティビティが誘発されるようにプロセスや仕組みがデザインされている。質の高い空間は、その活動に求心性を持たせ、敷地を超えて周囲に波及し、地域文化の形成や風景の創造につながっていくことが期待できる。気仙沼復興照明計画は、まち全体を対象とし、夜間照明を起点に公共・民間・住民の参加を促しつつ、愛着と誇りを醸成する風景を創造する枠組みを提示した点を特筆したい。
地域の歴史文化から原景を想像する力や地域とともに風景を創造する力は、確かなデザイン力の蓄積の上に、さらなる土木デザインの展開を後押ししてくれるだろう。
久保田 善明
その背後にあるもの
優れた土木デザインを行うには、表面的に見えている部分だけをデザインするのではなく、むしろ「その背後にあるもの」にもしっかりと向き合う必要がある。「その背後にあるもの」とは、インフラシステムの一部という位置づけに関わるものは当然として、例えば、構造や形を成立させるための力学的原理であったり、土や水の中にあって直接は見えないが根幹を支えるもの、あるいは社会的な制度や仕組み、人間の心理や行動、地元住民のコミュニティ、生態系の保全、公共ゆえの宿命などなど、さらにはこれらの組み合わせである。そういった次元に対象の本質が深くかかわることにしっかりと目を向けてデザインすることが肝要である。そこに土木の優れた専門性が必要となるし、場合によっては他分野の力も借りながら、総力戦で成し遂げていく必要がある。もっとも一般の利用者はそんなことを知る由もなく、土木の佇まいに意識を向けることなど少ないのかもしれないが・・・。今年最優秀賞に選ばれた2作品も「その背後にあるもの」がデザインの鍵を握っていた。史跡鳥取城跡擬宝珠橋の復元では、復元された木橋自体もオーセンティシティの観点から大変優れていたが、水中梁の存在が決定的に重要であった。馬場川通りアーバンデザインプロジェクトでは、活発な民間主導の取組なくして空間を実現することはできなかった。優秀賞や奨励賞の作品の多くにも「その背後にあるもの」へのアプローチを見てとれた。一方、そういったことに十分向き合えていない作品や、課題が残ると判断された作品はあまり高い評価を受けられなかったように思う。また、「その背後にあるもの」へのアプローチは優れていても、結果としての景観に課題が残されたものも惜しい結果となった。ただ個人的には、大変な努力をしながらも賞に至らなかった作品たちにこそ、感謝と期待を込めたエールを送りたいと思っている。
栃澤 麻利
公共空間の豊かさを求めて
土木学会デザイン賞の審査委員を3年間務めさせていただいた。審査を通して、日頃接する機会の少ない専門分野の方々と議論を重ね、多様な応募作品に深く触れることができたのは、建築を専門とする私にとって非常に刺激的で貴重な経験であった。また、市民と同じ目線で現地を訪れ、実際に空間を体験して審査を行うという手法は本賞ならではであり、毎回、新たな発見と学びが多く、このような機会をいただいたことにまずは感謝を申し上げたい。
3年間を振り返ると、議論の中心は常に「土木デザインとは何か」という根源的な問いであったように思う。一つは「公共性」に関する議論であり、建築はもとより広場や橋梁でさえ、公共に資するものであるか、地域社会にどのように寄与するかを評価軸として審査を行ってきた。もう一つは「デザイン」そのものに関する議論である。審査対象は多岐にわたるが、最終的には「目に見える形」で立ち現れるものである。それらは物理的なモノとしてだけでなく、人々の活動や自然環境に作用するものであることもあるが、それらが適切にデザインされているか、という点を重視して審査に臨んできた。
建築分野の立場から見ると、土木は社会や風景の基盤を形づくるという点で、より広い「公共性」が求められる。そこにさらに「デザインする」という意識が広く浸透することが、公共空間の豊かさにつながるのではないかと思っている。
審査を通して私が投げかけた問いや意見のなかには、土木分野の審査としては的を外した部分もあったかもしれないが、そうした異なる視点が議論を広げる一助となっていれば幸いである。
今後の土木学会デザイン賞のさらなる発展に期待を込めて、3年間の審査を締めくくりたい。
西山 穏
自然共生という価値
私は土木のデザインにおいて、ものづくりを含む人の営みが自然環境とどのように共生するのがよいかを考えたいと思っている。
地球の環境問題は既に待ったなしだといわれており、将来世代にツケを残さないために取り組むべき普遍性のある問題である。CO2排出を一因とする気候変動を始め、地表面をコンクリートで覆うことによる蓄熱現象であるヒートアイランド、降雨が川を下って海で再び蒸発する水循環の偏りによる水害の激化、都市化や里山放置、人工物による分断あるいは単に無遠慮なものづくりによる生物多様性の損失など、土木やその他大規模なものづくりが大きな影響を及ぼす問題は多い。土木のデザインが、つくる対象の主な目的に加え、同時に美しさや心地よさ等一般性のある価値を併せもつことを目指すのだとすれば、環境を壊さない、または生物の生息空間を強化する工夫は、目指す価値の1つであってよい。対象が何であれ、この自然環境への態度を問う必要がある。その態度は、既にある状態を直接変えないことだけでは十分でなく、それがよい状態なら持続し、悪化した状態なら改善する、それぞれの条件を整える必要がある。
この視点から審査対象を見ると、津久見川河川激甚災害対策特別緊急事業、高尾山ふもと公園・案内川、とみぱーく、遅野井川親水施設の案件はいずれも河床を人工物で固めることなく、これに人が触れる行動を価値づけて目指している点で評価できる。中でも出水時の水流に影響する構造物の設置を徹底して避けて既存の環境価値を丁寧に見いだして活用した、とみぱーくが突出して印象的だった。次いで、水質など簡単に解決できない課題から健全な川の営みをすぐには取り戻せない中で、継続的な体験活動による学びを提供する遅野井川親水施設の取り組みが高く評価できると考えられた。
山下 裕子
人の姿を目にし続く探究
今回、中心市街地近郊の12プロジェクトを実見。橋も公園も道路も屋外空間であり、屋外空間とは何かと何かをつなげる場所であることを強く実感。郊外の作品は、地域の魅力的な場所を発掘し、居場所化と地域内経済活性化にも寄与するメニュー開発までも実施されている事例もあり印象的であった。中心市街地の作品は、歩行者空間のネットワークの強化に寄与する事例が印象に残る。今回、初めての参加であったが“土木デザイン”という言葉が内包する大きさに期待感が高まる。岡倉天心が「茶の本」で“虚はすべてを容れるが故に万能であり 虚においてのみ運動が可能になる。”と記している。例えば、広場空間を活かすためには倉庫が近くにあり活用したい道具が収納されていると活動量が向上する傾向がある。そういった意味では、まず生身の我々の生理現象を満たす厠が24時間利用可能な公衆トイレとして運用され、さらにはきれいで近所の場の活用に対しての機能を付加している傾向を感じられ希望を持つ。さらに、幹線道路や駅やバス停といった交通機能との関係性についての深掘りにもますます期待したい。また、城下町や中心市街地といった領域感において車両通行量が減少してきていることをポテンシャルとして感じられる事例もあり希望を持つ。日頃、社会関係資本(ソーシャルキャピタル)を意識している者として、地元の皆様の活動の様が垣間見れることに期待を抱くが、土木という時間軸の長い世界観における地域活動の新陳代謝の萌え(めばえ)をどうしたら評価できるのだろうかという問いも生まれた。多様な専門家の皆様が参加されるアグレッシブな審査会の議論そのものが時代を映す鏡と感じ、そのアーカイブがいつか公開されることも期待したい。
土木学会デザイン賞は、その対象範囲が広い。橋梁、河川、広場、公園、さらに建築にまで及ぶ対象を、同じテーブルで評価するという点では、いわば異種格闘技戦のような側面を持つ。そのため審議は必然的に多角的となり、判断は容易ではない。しかし一方で、土木という営みの本質や、質の高いデザインとは何かを議論する、またとない機会ともなる。異なる領域の視点が交差し、それぞれの専門性が照らし合う中で、デザインの奥行きが立ち現れてくる。
土木構造物は、その他の人工物に比べて操作できる要素が限られており、前提条件がそのまま姿に現れる性質が強い。だからこそ、設計の条件を形づくる計画段階の重要性は極めて大きい。また、設計段階においても、与えられた条件を単に受動的に受け取るだけでなく、それが本当に妥当なのか、変更の余地はないのかを問い直す姿勢が求められる。そこには、設計者の意思と、発注者側の柔軟な理解の双方が不可欠である。つまり、土木のデザインの質は、完成した形の美しさ以前に、計画段階の思想と判断力に強く規定されるのである。
さらに、デザインとして成立させるためには、対象物の特性についての深い理解が不可欠である。橋梁における構造力学や、河川における水理学といった力学的把握は当然として、加えて施工時の環境負荷、維持管理の現実性、運用の持続可能性といった要素まで視野に含める必要がある。そして、どれほどの僻地に位置する施設であっても、人が使う場である以上、人の動線や居心地、周辺環境との接続を丁寧に考える都市計画的な配慮も欠かせない。これらの視点が多層的に絡み合う中で、それらを矛盾なく統合していく総合力が土木デザインに求められる。
一方で、土木が対象とするのは、多くの場合“公共”である。しかし、その公共を担う主体は本当に行政だけか。近年の公民連携やPark-PFIのような取り組みは、従来の暗黙の前提に対する問いかけであり、公共の担い手のあり方が広がりつつあることを示している。本年の受賞作には、Park-PFIに限らず、民間の敷地をそのまま公園として開放した事例や、伝統的な道普請の現代版ともいえる、地元有志の寄付によって公共空間を整備したものもみられた。これらはいずれも、公共という概念を広い射程で捉え直そうとする実践であり、大きな意義を持つ。だからこそ、公共とは何かという問いに、私たちはもう一度立ち返る必要があるだろう。どれほど多様な人を受け止めようとしているのか、どれくらいの時間的な持続性を意図しているのか。これらは民活事業だけの問題ではなく、一般的な公共事業においても常に問われるべき視点である。
本年の受賞作は、ここまで述べてきたような困難や複雑さに対して、長い時間をかけて丁寧に取り組んだ成果であると感じている。関係された多くの方々の努力に、心から敬意を表したい。では、賞の差はどこに生まれたのか。振り返ると、ものや場所が持つあり方が、静かな佇まいへと昇華できているかどうかが、大きな鍵であったように思う。土木は、一度つくられれば数十年、できれば百年、二百年という時間を支える存在である。その時間に耐える空間は、あるべきものがあるべき姿であるという、必然性の域に達している必要があるのだろう。
最後に、今年は審査委員長を拝命しての最初の一年であった。責任は想像以上に重く、無事に終えられてほっとしている。しかし同時に、この一年を通じて得られた充実感は、それ以上のものであった。土木デザインとは、なんと豊かな営みであろうか。これは私の偽りのない実感である。これからも多くの方々とともに、この豊かな土木デザインの土壌を耕し、その可能性をともに育てていきたいと願っている。