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総評
2015
齋藤潮
東京工業大学 教授
景観・デザイン委員会 デザイン賞選考小委員会 委員長
デザインの隙と真価について
完璧な仕事はまずありえない、と今さながら思います。どんな成果にも必ず隙がある。た
だ、わが国の事業制度や慣習、事業主体の無理解によって否応なく強いられる隙もあって、この克服は難儀です。実際にアイデアを出し、手ずからエスキスを続け、構造的にも意匠的にも時間をかけて検討した設計者は、これまで幾度も苦汁を飲んだことでしょう。あらためてエールを送りたく存じます。
伝統的土木の世界ではデザインで頑張ろうと思っても障害が多い。エールを送る気があるなら、その障害をひとつでもふたつでも乗り越えた仕事は高く評価せよというお叱りもありました。その趣旨はもちろん理解できます。選考の場でもしばしば議論になりました。さりなが
ら、選考委員を他分野からも複数招聘してこの授賞制度を組織した以上、とくに最優秀賞授賞の判断にあたっては、その評価眼にも耐えなければならない、と思いました。土木の内輪の授賞制度だという雰囲気になっては、本賞はいずれ行き詰まるでしょう。
応募書類にしばしば設計コンセプト、あるいはそれに類するキイワードが表記されます。コンセプトは、複数の主体間で設計の方向性を共有するために、また、設計者自身が仕事を客観化するためにも用いられる。ただ、応募書類でコンセプトが反復され、辟易することもありました。まず、コンセプトは常套的な美辞麗句になりがちです。そうではなくて、設計者が言葉を選んで主体的・積極的に設定している場合。これには敬意を払おうと思いますが、残念ながら、それによって作品を見る目が開かれ、合点がいった例は少ないように思います。作品の見方を押し付けている割に、その意義が鮮明には浮かび上がってこないのです。いずれにして
も、解決すべき切実な課題とその結果との関係を実直に解説する文章が読みやすいように思いました。ちなみに、コンセプトも含め、応募書類の記入欄が文言のコピー&ペーストで埋められた例が散見されます。これは記入項目の設定の問題かもしれません。似たようなことを何度も問う形式になっていないか、応募書類の再検討が必要のようです。
どこまでを応募範囲とするかが問題となる場合があります。長期かつ広汎なプロジェクトでは、事業主体が複雑で仕事が隅々までうまくいくとは限らない。しかも、早期に仕上がった部分と後に仕上がった部分では作品の鮮度が違い、隙はそれだけ多くなります。隙が少ない範囲に絞って応募する手もないわけではありません。しかし、作品の真価がどこにあるかという見定めが、応募者にも選考する側にも求められるようです。作品の真価というとき、それが当面の設計対象の外の景観とどうつながるのか、あるいは歴史的にどうつながってきたのかという観点が重い意味をもつこともあります。景観・デザイン委員会が主催するデザイン賞は、この点を見逃さないのが存在意義のひとつのように思いました。外とつながってはじめて意味があるような仕事は、つながりが成就しないかぎり本当には評価できない、ということです。
今年度は、選考委員もしくはその所属先が応募作品に関与しているケースが4例ありまし
た。もちろん、審議のたびに当該委員には退席いただいています。ただ、一人で複数の作品と関与している場合、その委員が属する専門の見地からの意見聴取が難しくなることがある。このような場合の対処方法については検討が必要だと思います。
いろいろと勝手なこと、諸兄にはわかりきったことを連ねましたが、ともあれ、3年間にわたって創意工夫に満ちた作品を実見する機会をいただき、感謝申し上げます。役得です。
須田武憲
株式会社GK設計 代表取締役/
(一社)パブリックデザインコンソーシアム
時間をデザインする
本賞の選考委員のメンバーとして3年目。今年は、自分の担当作品以外も含めて二次審査対象作品全てを見て審査、評価しよう思っていた。残念ながらひとつだけ行けなかったところはあるけれど、まだまだ日本には見るべき素晴らしい土木デザイン作品があるのだと改めて実感することができた。
土木デザインは、美しい上質な空間やモノを提供することによって、人々の間に強い結びつきを喚起させ、行動を誘発し、丁寧に時間をかけて育てていくことや大切に使って行こうという機運を自然に発生させる、という役割を求められるようになってきたと思う。本年度最優秀賞のひとつ、北彩都あさひかわは、20年という長い時間をかけて整備された。極めて高質で美しい街を、駅を、人々は皆胸をはり誇りをもって闊歩している。美しいデザインを纏った空間がこれから成熟していくとともに、街に対して多くの働きかけが生まれていくことだろう。
一方社会資本ストックに対する設備投資の減退の中にあって、大量消費を前提としたフロー型社会から価値あるものをつくり、長く大切に使っていくストック型社会へと移行し始めている。土木デザインにおいても造って終わりではなく時と共に深化し、更新できる持続可能性をもつ時間的概念の視点が不可欠となってきた。同じく本年度最優秀賞である一乗谷川整備事業は中世戦国期の遺跡公園を背景に、出土した石垣と一体化した全く違和感のない河川整備がなされており、まるで戦国期の社会資本ストックが今もそのまま使われていると思うほどの完成度を見せているのがとても印象に残った。
本年度は最優秀賞をはじめ、各賞の作品の地に立ち作品を目の当たりにしたときに、その質の高さと投入されたであろうエネルギーの大きさに感動を禁じ得なかった。応募者の皆さんに深く感謝を申しあげたい。
高見公雄
法政大学デザイン工学部教授
ボイドのデザインを
土木学会デザイン賞審査委員の任期は3年。昨年も同じ書き出しで「狭義のデザインに注ぐ肩の力を少し抜いて、全体を俯瞰することで、より総合的なデザインの観点が広まっていくことに期待したい。」などと締めくくった。その後諸事情により1年居残り勉強となって4年目となった。ほぼ同じ意味を別の言い方でと思い、「ボイドのデザインを」という題目とした。われわれの暮らす街は多くのモノで作られ、その意味や形を整える行為がデザインであると思う。しかしながら「デザイン」をしようとすると、そのモノの形に着目が行き、力も入る。そのこと自体は良いのだが、土木学会デザイン賞が対象とするモノは、街の中や自然の中など他のモノと共存し、それらと一体となって存在する場合がほとんどである。ボイドのデザインとは、これら多くのモノにより切り取られて残る空気の部分のことである。「その部分を僕たちはデザインしているんだ」と、故南条道昌氏はいつも言っていた。ただ、切り取るモノである壁や床は透明なものでもないし、無性格なものではない。そこにはモノとしてその場所にあるべきものとしての内容や性質を持ち、さらに優れた形であって欲しい。これらを全部決め(デザインする)ることが、良い空間をデザインしていく行為であると思う。実は誰もがボイドのデザインについて見ているし、多分評価もしている。しかしながらモノづくりの側はどうしてもモノのデザインが気になる。それが大地の上に置かれて初めて機能する土木学会デザイン賞の対象物について、今一度ボイドのデザインを気にして欲しいし、優れた評価はそのような側面からの評価も受けているのだと思う。
高楊裕幸
大日本コンサルタント株式会社 技術総括部 企画管理部長
人・モノ・環境への配慮
創設時に幹事を務めたデザイン賞の選考委員を仰せつかった。大役を自覚しつつ、楽しく有意義な選考時間を過ごさせて頂いた。気は早いが、来年はより積極的にと、やる気を刺激され心躍っている。感謝である。私は建設コンサルタントと云う仕組みの中で、30年間デザインで飯を食えた幸せ者である。今は、デザイン教育を受ける学生達が活躍できる職場環境の拡大に注力している。本賞が、常に受注のインセンティブになることが、土木を魅力的な業界にする早道と考える。産官学の関係者に、引き続きご尽力をお願いしたい。
今回、すべての候補作品(橋梁作品は関係者として不参加)を現地調査する中で、改めて私なりの土木デザインの選考基準を整理した。
1.地域の歴史や風土、文化に馴染まない計画になっていないか
2.地形や気象に逆らわず条件から検討したか
3.背景や周辺環境と調和しているか
4.配置や形は見え方を意識して統合的に計画したか
5.対象は美しく使いやすい形態に仕上げたか
6.過剰な配慮はないか
の6点。
とは言え、現場での直感評価は「利用者が活き活きしているか」、「デザインは華美でないか」と「地球にダメージを与えていないか」であった。土木作品は、対象を取り巻く人・モノ・環境と一体で行われることを再認識した。
今年の選考作品は種別も規模も経過時間も様々であり、審査に当たり同じ指標で選考できるか不安もあった。結果、6つの選考基準を総じてクリアし、地域固有の課題に何らかの斬新な解決策が提示・実現された作品が選考された。更に、人・モノ・環境への配慮が、複数項目突出して優れた作品が最優秀となった。来年も私の知らない作品に出合える。今からわくわくする。
武田光史
日本工業大学建築学科 教授
良い計画と良いデザイン
デザイン賞の委員を務めて2年目となるが、改めて、土木デザインの規模や社会的責任の大きさ、基本計画と設計・施工や調整に関わる国や自治体の職員やデザイナーや技術者の多様
さ、出発から完成に至る年月の長さ、などに圧倒される。計画初期に関わる人達の見据える視線の到達点は10年20年後であり、その後の実現期間より遙かに長く生き続ける土木構築物と人々との係りの世界である。計画中や完成後の周辺居住者や就業者や施設利用者もまた、多くの参加者の一員と言えるだろう。
最優賞の一つ『北彩都あさひかわ』はスケールの大きい領域を繋ぐ関係者の志の高さと完成までの20年余に及ぶ強靱な継続力とその結果が高く評価され、もう一つの『一乗谷川ふるさとの川整備事業』は河川の歴史的土木景観と新しい整備のシームレスな連続性と整備後20年の経年変化による豊かさの獲得が大きく評価された。いずれも半世紀以上のスパンに耐える景観デザインを目指している。その点で、その他の受賞作品とは少しの差があったように思う。
ところで、選考委員会で『良い計画と良いデザイン』の違いが議論になった。先駆的で有意義な計画は結果も大事だが、優れたコンセプトそのものをデザインとして評価出来ないか、と言う問いかけである。大いに同感出来る点はあるが、このデザイン賞はプロセスもさることながら、その結果が求められている、と考える。景観に新しい価値を表出するにしろ、デザインの痕跡を意図的に消すにしろ、感動や心地よさを与えてくれるデザイン、あるいは人々に愛されていることを、良いデザインとしたい。
吉村伸一
(株)吉村伸一流域計画室 代表取締役
デザインプロセスと調整の仕組み
今回見た7作品のうち3つの作品が印象に残った。1つは最優秀賞の一乗谷川。川が活かさ
れ、時の経過とともに味わいが増す空間。あとの2つは優秀賞の各務原大橋と最優秀賞の北彩都市あさひかわである。いずれも川が舞台のプロジェクトである。
各務原大橋。フィンバック橋というと、橋面から上に突き出た三角形の構造壁が連続して重たい印象があった。各務原大橋はスレンダーに見える。歩道を歩く。歩車道境界につきだした波形の壁。歩道側に傾きを持っているが、高さが変化するので圧迫感はない。木曽川への視界もよい。橋は川との出会いの場である。川と出会い、川を楽しく渡る。波形のフィンバック
は、川を渡る楽しいリズムを生み出している。
北彩都市あさひかわ。最大の魅力は、旭川駅と忠別川がつながったことだ。駅前広場が忠別川という雄大な河川空間。ガーデンテラスでは人々がくつろいでいる。忠別川から導水した水を活用した大池。この空間もすばらしい。水鳥たちの楽園になるだろう。川の街旭川の魅力が最大限に生かされたプロジェクトだと思う。
旭川のプロジェクトは、20年に及ぶプロジェクトである。鉄道事業者を取り込んだデザイン調整の仕組みと力量のある設計者を指名して構成されたデザインチーム。この仕組みが質の高い魅力的な空間を生み出した。各務原大橋は、住民参画型の道づくり委員会が設けられ、公開型のプロポーザルで設計者を選定。市民に見える形のデザインプロセスが光っている。フィンバックの突きだし高さを巡る意見調整では、原寸大模型を設置して市民の意見を集約。当初案を維持した。この二つのプロジェクトは、デザインプロセスや調整の仕組みという点でも優れている。
吉村純一
多摩美術大学環境デザイン学科教授/
設計組織プレイスメディアパートナー
デザインの「峰」
今年から土木デザイン賞の審査を務めさせて頂くことになった。私の専門であるランドスケープと土木のデザインの評価のされ方がどのように違うのか?が審査にあたっての私の興味であった。私は、ランドスケープデザインは、「場をわきまえてたたずまいを調えること」だと考えている。これを実現させるには、1:そこにそれが生まれてくる必然性があるのか?2:時間による変化に耐え、まわりの変化を許容していく力があるか?3:「独創性」=「ゆめ」が語られているか?が重要となってくる。この必然性と「ゆめ」2つの力が押し合って生まれる「峰」が高いほどその仕事は強固になり持続性を獲得することになる。これらの視点から土木のデザインの審査にあたることとした。実見はできていない仕事の中にも、あきらかに人の力に自然の力と時間が加わり素晴らしい熟成を遂げ、持続し続ける仕事があった。実見した仕事の中で特に印象深かった旭川駅についてふれておきたい。この仕事の持つあらゆる意味でのスケールの大きさに眼を見張らされた。土地の大きなうねり、構造物のスケール、それに負けないディテールの確かさ、これを長い年月をかけて実現させたのは、北海道の持つ大きな「ちから」と関わった人たちの「夢」であると思う。そこに現われてくる風景を夢見ながら、デザインする上での様々な理論や既知の手法に頼ることのなく、場所が持つ「匂い」を頼りに紡ぎだされ、匂いを弱めることなく、我々に顕かにしてくれた仕事には揺るぎのない力を感じさせられる。それぞれに交わされた審査の議論を通じて納得した。土木デザインが目指すものとランドスケープデザインが目指すものには違いがないようである。
だ、わが国の事業制度や慣習、事業主体の無理解によって否応なく強いられる隙もあって、この克服は難儀です。実際にアイデアを出し、手ずからエスキスを続け、構造的にも意匠的にも時間をかけて検討した設計者は、これまで幾度も苦汁を飲んだことでしょう。あらためてエールを送りたく存じます。
伝統的土木の世界ではデザインで頑張ろうと思っても障害が多い。エールを送る気があるなら、その障害をひとつでもふたつでも乗り越えた仕事は高く評価せよというお叱りもありました。その趣旨はもちろん理解できます。選考の場でもしばしば議論になりました。さりなが
ら、選考委員を他分野からも複数招聘してこの授賞制度を組織した以上、とくに最優秀賞授賞の判断にあたっては、その評価眼にも耐えなければならない、と思いました。土木の内輪の授賞制度だという雰囲気になっては、本賞はいずれ行き詰まるでしょう。
応募書類にしばしば設計コンセプト、あるいはそれに類するキイワードが表記されます。コンセプトは、複数の主体間で設計の方向性を共有するために、また、設計者自身が仕事を客観化するためにも用いられる。ただ、応募書類でコンセプトが反復され、辟易することもありました。まず、コンセプトは常套的な美辞麗句になりがちです。そうではなくて、設計者が言葉を選んで主体的・積極的に設定している場合。これには敬意を払おうと思いますが、残念ながら、それによって作品を見る目が開かれ、合点がいった例は少ないように思います。作品の見方を押し付けている割に、その意義が鮮明には浮かび上がってこないのです。いずれにして
も、解決すべき切実な課題とその結果との関係を実直に解説する文章が読みやすいように思いました。ちなみに、コンセプトも含め、応募書類の記入欄が文言のコピー&ペーストで埋められた例が散見されます。これは記入項目の設定の問題かもしれません。似たようなことを何度も問う形式になっていないか、応募書類の再検討が必要のようです。
どこまでを応募範囲とするかが問題となる場合があります。長期かつ広汎なプロジェクトでは、事業主体が複雑で仕事が隅々までうまくいくとは限らない。しかも、早期に仕上がった部分と後に仕上がった部分では作品の鮮度が違い、隙はそれだけ多くなります。隙が少ない範囲に絞って応募する手もないわけではありません。しかし、作品の真価がどこにあるかという見定めが、応募者にも選考する側にも求められるようです。作品の真価というとき、それが当面の設計対象の外の景観とどうつながるのか、あるいは歴史的にどうつながってきたのかという観点が重い意味をもつこともあります。景観・デザイン委員会が主催するデザイン賞は、この点を見逃さないのが存在意義のひとつのように思いました。外とつながってはじめて意味があるような仕事は、つながりが成就しないかぎり本当には評価できない、ということです。
今年度は、選考委員もしくはその所属先が応募作品に関与しているケースが4例ありまし
た。もちろん、審議のたびに当該委員には退席いただいています。ただ、一人で複数の作品と関与している場合、その委員が属する専門の見地からの意見聴取が難しくなることがある。このような場合の対処方法については検討が必要だと思います。
いろいろと勝手なこと、諸兄にはわかりきったことを連ねましたが、ともあれ、3年間にわたって創意工夫に満ちた作品を実見する機会をいただき、感謝申し上げます。役得です。