北海道上川郡清水町羽帯
環境体験型森林リゾート施設
「十勝千年の森」は北海道日高山脈の裾野に位置する400haの敷地で農業と森林の接点に位置する。
1994年に高野ランドスケーププランニングはマスタープランの作成を十勝毎日新聞社より依頼を受けた。当時はまだバブルの後半であり、銀行は高層ホテル、ゴルフ場、スキー場、分譲別荘地、などの大規模開発を推奨していた時期だったが、私たちは施設主導ではなく、森、農業、教育、エコツーリズムを計画の柱とした環境育成体験型の計画を提案した。新聞社は紙を消費する企業である。その分を企業の環境への責任としてカーボンオフセットとして森作りにも取り組むものと位置づけた。
「環境時代の森のデザイン手法の開発:埋土種子、スローデザインプロセス、引き算のデザイン」
森は長年手が入っておらず荒れていた。調査、笹刈り、間伐などゆっくりと森に手を入れ対話することからスタートした。森の手入れによって、長年林床に眠っていた埋土種子の草花が目を覚まし、多様で美しい環境が現れた。これは種を蒔いたり苗を移植したものではなく、自然の営力を導き出したものである。除間伐、修景林施行を軸とした「引き算のデザイン」によって森の美しさが導き出された、環境の時代のデザイン手法の発見である。
「北海道の庭の創出:庭園文化の発信 北海道ガーデンショーの実施」
事業の一番手はエコツーリズムの一環としてガーデン整備からスタートした。
自然の要素をテーマとした4つのテーマガーデン(森の庭、大地の庭、野の花の庭、農の庭)は、自然との対話の場として新しい役目を持って誕生した。英国のガーデンデザイナーダンピアソン氏とのコラボレーションにより作られた野の花の庭、大地の庭は英国のガーデナーズ協会より表彰された。
この動きを推進するため2012年北海道ガーデンショーが実施された。このガーデンショーの成功は北海道全道に波及し2015年には第2回が上川町を舞台に展開された。
そこには、地形と自然の力を信じて、時間をかけて育まれてきた風景が広がっていた。
1980年に土地を取得し1994年に計画がスタートした息の長いプロジェクトである。関わってきた人々の営為に、尊敬の念を表したい。企業の社会的な責任、環境への責任として取り組む姿勢の先駆けだと言える。自然の営力を引き出す、「引き算のデザイン」が、森の美しさを導きだし、手入れの丁寧さが、それぞれの場所に感じられる。地域の自然の特性が、ゆっくりとゆっくりと身体に染み込んでくる感覚が起こるのである。人と自然の関わりが視覚化された、北海道の庭を体験できるのも素晴らしい。大地の持つ力を見せる「アースガーデン」。自生種だけの構成で小さな名所となっている「メドウガーデン」。森の生命力を感じながら、アートインスタレーションも展開している「フォレストガーデン」等々。ヤギが風景の一部となり、できたチーズや大地の恵みを食する時間が豊かに流れる「ガーデンカフェ」。森、農業、教育、エコツーリズムを計画の柱として、人の関わりと共に徐々に育まれてきた風景である。新たな試みとして敷地内を移動するセグウェイが導入されたり、年間を通じて様々なワークショップが開かれ、次世代に継承するプログラムも盛んにおこなわれている。これからの我々の生活、そして、千年のあり方を考える場所であると言える。2012年に実施された北海道ガーデンショーは、北海道全体に広がりを見せている。ツーリズムネットワークが今後、さらに広がることを望みたい。今、叫ばれている地方再生のヒント、施設誘導ではない環境へのアプローチの方法が、この時間をゆっくりかけるプロジェクトに宿っているのかもしれない。(忽那)
北海道での初めての運転である。地形のうねりに沿って、上り下りはあるものの何ともまっすぐ。交差点が判らない。
道路際や敷地の境界に植栽されたシラカバや防風林の延長の長さ、広大なトウモロコシ畑や牧草地、北海道は車で走ると実感する。
「十勝千年の森」に到着、順路に沿いながらアースガーデンに向かう。今まで訪れる機会がなく写真の情報でしか見たことがない。台地のうねりのスケール感は?この作品における僕の興味はまずそこにあった。3mの高さを持つ三日月型のマウンドは、見る方向によってまるで印象が違う。
千年の丘の方向から見ると襞の重なりは強調されアースワークを感じ、反対からだと、大地の緩やかなうねり程度にしか感じさせない。このガーデンは中を歩き回り、様々な風景と重ね合わせることによってより深く味わうことのできる庭と言える。
庭園が自然と人間との対話の装置であるとすれば、農の風景そのものが大地のスケールを兼ね備えた「庭園」といっていい。自然そのものへの参加、そして讃歌、人間が創り出したガーデンと自然そのものとのコントラストによって風景は顕現する。
資料に、十勝毎日新聞社は紙を消費する企業であり、その分を環境への責任としてカーボンオフセットとして森つくりに取り組むとあるが、それと同等かそれ以上に、自然とのゆったりとした対話の仕組みづくりとそれを一般の人々に体験を通じて還元できているところに大きな意義と公共性を感じた。
大地の庭、森の庭、メドウガーデン、そして日高山脈の風景、「北海道の庭」は確かにそこにあった。(吉村純)
※掲載写真撮影者は左から1・3枚目が大泉省吾