選考結果について

奨励賞

月浜第一水門Tukihama water gate

宮城県石巻市
逆流防止水門、塩水遡上防止水門

水門建設サイトには新北上川河口部独特の広大なヨシ原を代表とするのびやかで雄大な風景が広がっている。こののびやかな風景に大規模な水門をどのように収めるかがデザインの焦点の一つであった。さらに、周辺には選奨土木遺産である福地水門など歴史的名構造物群があり、それらとの呼応も重要な課題であった。
(1)朴訥としたフォルム
のびやかで雄大な風景にふさわしいと考えた水門のイメージは「朴訥」であった。門柱のみが強調された直方体に近い形状とすることで、遠景では雄大な風景に溶け込み、中近景では素朴に存在することを企図した。具体的には、門柱を中空構造とすることなどにより、通常外部に出る上屋や管理用階段、油圧発生装置類などを全て門柱内に収め、門柱のフォルムを徹底的に単純化した。また、カーテンウォールもゲシュタルト的に主とならぬように門柱を貫通する形で配し、素朴に門柱のみが図像的に立ち上がる形状を追求した。
(2)機能の表現
周辺にある選奨土木遺産の水門群の特徴は、その素朴さにある。素朴さを生んでいる要因の一つは、シーブを始めとする装置がむき出しになっており、よく見ているとどこがどう動いてゲートが閉じられるのか解ることにある。そこで、周辺の名構造物との呼応した素朴なデザインを実現するために、メカニズムの要である油圧シリンダーを管理橋側の門柱側面に背負わせ、転向シーブを門柱の上に配することで、水門の主たるメカニズムを明示的するデザインとした。
(3)ディテール
維持管理用の足場を折りたたみ式にしたほか、門柱上の転落防止柵も四隅はコンクリート壁とするなどディテールにおいても素朴な直方体の印象を追求した。なお、油圧発生装置まで門柱内に組み込んだことで、操作室からの配管は煩雑となる油圧系統が存在していない。また、色彩も複数種の鉄板へのサンプル塗装を現地に配して決定した。

《主な関係者》
○藤平 雅樹(株式会社東京建設コンサルタント東北支社)/コンサルタントとして土木設計を担当し、有識者・学識者の助言を得て具体のデザインを提案
○西村 徹(北上川下流河川事務所 設計担当課長(当時)、国土交通省本省総合政策局行政情報化推進課(現在))/事業者の設計担当課長として土木設計コンサルタントを指導し、デザイン設計を具体化
○和田 淳(株式会社東京建設コンサルタント東京支社(当時)、株式会社セット設計事務所(現在))/コンサルタントとして土木設計を担当し、有識者・学識者の助言を得て具体のデザインを提案
○関沢 元治(北上川下流河川事務所長(当時)、一般社団法人建設業技術者センター 業務部長(現在))/事業の責任者として設計・施工に関する総括を担当し、デザインを推進
○平野 勝也(東北大学准教授)/有識者・学識者の立場から当該施設のデザインの基本方針策定や方向付けを行い、事業者へ助言を実施
○五十嵐 昇(三菱重工業株式会社(当時)、佐藤鉄工株式会社(現在))/ゲート製作の監理技術者として機械設備の製作を行い、デザインを具体化
○平 義則(北上川下流河川事務所 設計・施工担当課長(機械)(当時)、最上川ダム統合管理事務所白川ダム管理支所長(現在))/事業者の設計・施工担当課長として機械設備の設計・施工をコンサルタント、施工会社を指導し、デザイン設計・施工を具体化
○井上 昭治(セントラルコンサルタント株式会社)/コンサルタントとして機械設計を担当し、有識者・学識者の助言を得て、ゲート等のデザインを提案
○坪 義人(東急建設株式会社東北支店)/土木施工の監理技術者として現地で実際の土木施工を行い、デザインを具体化
○福谷 伸一(三菱重工業株式会社(当時)、佐藤鉄工株式会社(現在))/ゲート施工の監理技術者として現地で実際の機械設備施工を行い、デザインを具体化
《主な関係組織》
○月浜第一水門景観検討会
《設計期間》
1999年3月~2004年3月
《施工期間》
2002年4月~2006年3月
《事業費》
約56億円
《事業概要》
整備目標:本川(北上川)8,700m3/sec、支川(皿貝川)175 m3/sec
水門諸元:B20.0m×3径間
逆流防止ゲート×3門(鋼製ローラ引上げ式ゲート)
潮止ゲート×1門(鋼製フロート式起伏ゲート)
《事業者》
国土交通省東北地方整備局北上川下流河川事務所
《設計者》
(土木)株式会社東京建設コンサルタント東北支社
(機械)セントラルコンサルタント株式会社
《施工者》
(土木)東急建設株式会社東北支店
(機械)三菱重工業㈱(現:佐藤鉄工株式会社)

講評

 周囲の風景との関係。土木のデザインではいの一番に大切なことである。風景があり、施設はそれに寄り添う。しかし時に先の風景は失せてしまう。月浜第一水門と対峙しながら、塔のてっぺん近くに添えられた津波到達高さのサインを手がかりに、その時の、そして失われたかつての風景を想像する。山河は残り、おおまかなランドスケープは変わっていない。が、堤内地の家並みは消え、背後の造成工事は程なく新たな家並みとなる。こうした風景の変化と、この水門のデザインとを結びつけて語るべきではないのだろう。構造物、施設デザインとしての造形に明確な意図とチャレンジがあることがこの作品の価値である。しかしあの津波を受け、部品を失い、生き延びて再生したこの水門が、がらんとした風景のなかに人工構造物してメカニカルに屹立している姿には、意味を重ねざるをえない。そしてその意味は、それとは無縁の文脈から導き出された機能のデザインの特徴を、より一層先鋭的にとぎすましているのである。(佐々木)