東京都江戸川区
耐震護岸、親水河川
新川は、江戸川区の南部を東西に流れており、江戸時代から行徳の塩を江戸に廻送する「塩の道」として活用されるなど、古くから重要な水上輸送路として、地域の人々の生活に深く関ってきた歴史ある河川である。
しかし、高度成長期の地下水の汲み上げによる地盤沈下が起こり、そのため繰り返しコンクリート護岸の嵩上げや都市化による雑排水等の流入により、新川は地域の人々の生活から隔てられ、川を挟んだ南北地域の交流が疎遠になってしまった。
その後、下水道整備による水質改善及び水位低下が可能となり、さらに平成5年から東京都による護岸の耐震補強工事が開始し、街と川を隔てていた旧護岸の撤去が始まった。そのような周辺状況が整ったことから、地域住民と江戸川区の協働による新川千本桜事業として、江戸情緒を醸し出す桜並木や遊歩道、西水門広場や新川さくら館等の環境整備を行った。
整備にあたっては、様々な桜を愛でることができるよう20種、718本を植樹している。また、新川千本桜を軸として、沿川3km全体が賑わいある街となるよう、新川遊歩道の回遊性を高める5橋の人道橋及び地域まつり等のイベントが可能な2橋の広場橋を配置した。モニュメントである火の見櫓や人道橋などの木橋群における高欄形状や継手、擬宝珠、和釘等の時代考証やデザインについては、職員自ら文献で確認し、かつ専門家に監修依頼し、統一した景観づくりに努めた。
江戸時代の蔵と大店(おおだな)をイメージした新川さくら館は、集会室・多目的ホールを兼ね備え、地域の活動交流拠点として活用されている。新川さくら館前には、広場橋と船着場を配置し、地域まつりでは町会模擬店が連なり、水辺では和船が行き交うなど、施設と水辺環境が一体化した区の新しい名所となっている。
新川を中心に人々が集まり、ボランティアによる日常的な清掃や近隣小学校による景観学習が行われるなど、新川千本桜は地域の核として地域力の向上に大きく寄与している。
本作品の対象地は戦後の高度成長期に周辺の工場等の地下水汲み上げによって、地盤沈下が発生した地域であり、そのため護岸が逐次かさ上げされ、いわゆるカミソリ護岸がそそり立つ風景が日常となってしまい、水辺と町、そして川の両岸の町同士の交流は、長い間全く隔絶されていた。しかし、本整備によってその表情は一変し、高密度な都市に水と空の広がりが感じられるボイド空間が生み出され、岸に礫を配することで柵の高さを低く抑えて、水面が身近に感じられるよう工夫された、魅力的な親水空間が誕生した。
整備期間が10年にも及ぶため、整備年度ごとにデザインや仕様の違いが見られる。西側は「江戸情緒」のコンセプトが直喩的に表れすぎているところもあるが、東に向かうほどあっさりとしたシンプルな構成になっていき、開放感を感じさせ好感がもてる。
1000本を超える桜の若木が年とともに成長し、より多くの緑陰を提供してくれるようになれば、さらに快適さが増すだろう。この整備によって沿川宅地のファサードや塀なども落ち着きのある意匠にするなど、川の風景に呼応する動きも出て来た。今後、店舗や商業活動など川に向かった働きかけが生まれてくると、より一層にぎわいと吸引力が高まるだろう。これからのそうした動きが活性化することに期待して、優秀賞を贈りたい。(須田)
パラペットが立ち上がり、車1台がやっと通れる位の道幅しかなかった新川沿い。そのパラペットが取り除かれ、緑道が整備された。このプロジェクトの核心が、応募書類では十分な説明がなされていない。パンフレット「新川千本桜」を読むと、昭和51年に東西の水門を閉鎖し、新川の水位を調節することが可能なシステムに変更したこと、平成6年から護岸の耐震化が進められたとある(東京都の事業)。つまり、新川の水位を低く保つことでパラペット撤去が可能になった。耐震化工事で護岸の前出しをして緑地付き遊歩道スペースを生み出したということであろう。
暑い7月、現場に行った。釣り人が多い。西側は柵があるため、利用しにくい。それでも、脚立を持ち込み、釣り竿を置く手作りの金具を柵に取り付けたりしていた。あちこちに釣り人の溜まりができている。東側は護岸の前に捨て石が施してあり、低いロープ柵が設置してあるだけなので、河岸に腰掛けられる。捨て石の隙間にカニが生息しており、家族でカニ釣りしている姿がほほえましい。散歩する人や自転車も多い。地域の生活空間として根付きつつあると感じた。価値ある整備である。ただ、「江戸情緒」というコンセプトには違和感がある。周辺にそれを感じさせるものはない。10年、20年経って木々が生長してくると、いい空間になる。江戸情緒などと言わなくてもいいであろう。(吉村(伸))
※掲載写真撮影者は左から1枚目が(C)江戸川文化写真連盟