【宮崎県日向市上町】
用途 / 駅舎・駅前広場・街路
連続立体交差事業による日豊本線の高架化と新たな駅舎の建設事業を核として、これを中心に周辺市街地を区画整理事業、特定商業集積事業によって再編成し、JR九州と宮崎県、日向市が合同で、駅を中心とする地区全体を一体でデザインしたプロジェクトである。東西二つの駅前広場は、スパン20mの中央コンコースでつながり、西口広場には広い芝生と木架構の野外ステージを持つ交流広場「ひむかの杜」が併設され、新たなにぎわいの焦点が整備された。
駅事業は平成9年から構想・計画そして事業化に至るまで、行政(宮崎県、日向市)、市民(日向市、後背圏域である入郷地区)、鉄道事業者、学識経験者、専門家による委員会(日向地区鉄道高架・駅舎デザイン検討委員会)により常に「市民に開かれた」状態で進められた。駅前広場整備においても議論は継続し、数々の市民ワークショップが開かれ、その意見は検討委員会(日向地区都市デザイン会議)において集約された。
日向市駅は、一面二線の小さな高架駅であるが、これらがすっぽり入るトレインシェッド形式の上家(ホーム上の屋根の部分)として在来線では日本初の駅である。柱を鉄骨、梁を
木造としたハイブリッド構造を採用し、木造部は負担応力に応じて断面の変化する「変断面集成材」を地場産の杉で新たに開発して用いた。まちに対してファサードはすべてガラスとし、広場に向けて人と駅を繋ぐ大キャノピーを設けた。
駅前広場及び周辺街路は、鉄道で分断されていた東地区(海の文化圏)と西地区(山の文化圏)が高架化によって結び合わされたことを受け、「地区の融合」という祝祭性をテーマにデザインした。交流広場は、どこからでもアクセス可能な全方位的構成をもち、主要部を芝生緑地として様々なイベントに対応する。せせらぎや芝生の造形などによって、広場はやわらかく数層に包み込まれながら、駅舎と野外ステージに正面性をもっている。
すでに高い評価を獲得している作品である。わたくし個人としては先行する評価に追随したくはないという反骨と、このような仕事を表彰しなければ見識を疑われるという強迫観念の狭間で、しなくてもいい苦悩を味わった。デザインのスペシャリストを結集して事にあたっているわけだから、その品質が高いのはあたりまえだという思いもあった。しかし、それにもかかわらず、この仕事には驚嘆せざるをえない。多くの主体が --とりわけ、JRのような大きな権限をもつとともに難しい組織(失礼)が関与したプロジェクトで、あらゆる事業制度を活用しながらなすべきことをなし得たこと。いや、ふつうにはなし得なかったことをなし得たと言うのが妥当だろう。行政担当者の調整手腕が最大限に発揮されたというのは簡単だが、担当者の異動がある中でプロジェクトに臨む姿勢を数年にわたって一貫させ、さらには内容の創造的進化すら達成している。労苦を越える熱意があったと想像する。たとえば、高架方式の駅舎の橋脚スパンの割付を、東西を貫通する歩行者の連絡通路の充実のために拡張するなどという変更案に、JRがよくぞ応じてくれたものである。向の子供たちは、軽快な駅舎、駅前「市民」広場の存在を常識だと思って育つだろう。しかも、日向市駅が尋常ではないことに気づいたときに、大人達が語るべき物語をもっているということは、なんと幸福であることか。気がかりなのは、この仕事の周辺地域の変化である。個別の事業者が、よい意味で資産価値を上げるようにこの仕事に和して創造的に動いてくれるかどうか。行く末を見守りたい。(齋藤委員)
駅前広場というものは、永きにわたって自家用車やバスやタクシーに占領され、次の目的地に向けてそそくさと移動するためだけの空間であった。
ところが日向市駅の改札口を出て駅前に広がるのは芝生の緑である。都市デザインに関わる者であれば、それを実現する難しさを容易に想像できる。微妙なアンジュレーションをもって伸びやかに広がるこの交流広場(ひむかの杜)を随分長い時間観察した。子供たちは芝生を転げ回り、母親はベビーカーを木陰にとめて赤ちゃんをあやし、老人はベンチにすわって街を眺めている。日が落ちるとステージ上では、女子高生たちがダンスの練習をしていた。人々はたしかにそれぞれ自分だけの広場を獲得したのだ。駅前広場というものを人間のために創り、そして人々に解放した。この点こそが土木学会デザイン賞最優秀賞を獲得した最も大きな理由である。駅舎の高架構造体と一体となって翼のようにつつみこむ庇、人々や電車の動きが街から見える透過性の高い上屋、杉を主体としたストリートファニチャーなどをトータルに纏め上げた設計手腕は、さすがと申し上げたい。
応募書類には「ハード整備が到達点ではなく、街をいかに再生するかが目的」とある。周辺を歩いてみると、なるほど街は駐車場や空き店舗が目立つ典型的な地方都市の景観が広がっている。しかし人々は「我々にはあの駅がある」と思ってこの作品を見上げているのではないだろうか。(須田委員)