選考結果について

最優秀賞

史跡鳥取城跡擬宝珠橋の復元 Giboshi-Bridge

鳥取県鳥取市東町2丁目地内
歩行者専門橋

 本事業は、鳥取市に所在する国指定史跡・鳥取城跡の正面玄関「大手登城路」の一部、擬宝珠橋(大手橋)の復元事業です。橋は 1621 年に創建され、数度の架け替えを経ながら、1897(明治 30)年頃まで現存していました。戦後、その場所には既存橋梁(1963 年竣工・3連 PC単純中空床版橋、全長 35m)が建設され、城内三ノ丸跡地に所在する県立高校の通学路としても利用されていました。
 今回の復元事業は、国指定史跡における歴史的建造物の復元であることから、水中(堀底)に現存する 69 本の橋脚遺構を確実に保存する必要がありました。そのため、既存橋梁の大部分を撤去する一方、基礎構造を活用して、その上にステンレス製の水中梁を、遺構を避けるように井桁状に架け渡し、その水中梁を土台に8径間の木橋を立ち上げています。水中梁と木橋の接合部は、新しい構造機構を導入していますが、歴史的建造物として違和感が生じないよう、工夫を凝らしました。それ以外では、明治初期の古写真等を解析し、橋の意匠を忠実に再現しています。木部材は、遺物から材質特定できたものは、その材を用い、可能な限りの再現にも努めています。
 既存基礎の活用に関しては、既存橋梁に比べて重量が約半分になることから、「現況非悪化」と判断しています。その上で、水中梁と木橋部の設計は、一般的な地震時の設計水平震度 0.3 に耐え、大地震にも耐力があるように設計しています。最終的には、水平震度換算値 0.82~1.3 という耐震性能を確保しています。
 文化財としての真正性(オーセンティシティ)を重視しつつ、復元される歴史的建造物が、市民の誇りを醸成するような交流の場として、活用されることを目指して事業を進めています。既に完成から 7 年が過ぎ、多くのイベントにおいて橋が活用され、市民に親しまれています。一方、技術的、意匠的な工夫は、極力目立たないように設え、縁の下の力持ちのようになっており、現代の土木デザインの一つのモデルになるとも考えます。

《主な関係者》
○細田 隆博(鳥取市教育委員会)/事業全体の統括
○赤澤 泰(株式会社 文化財保存計画協会)/整備橋梁設計の統轄
○矢野 和之(株式会社 文化財保存計画協会)/歴史考証監修
○小幡 一之(株式会社 文化財保存計画協会)/歴史考証、基本設計
○松井 幹雄(大日本コンサルタント 株式会社 横浜支店(当時)、大日本ダイヤコンサルタント 株式会社(現在))/水中梁の創案、および橋梁構造全体の計画
○初鹿 明(大日本コンサルタント 株式会社 横浜支店(当時)、大日本ダイヤコンサルタント 株式会社 関東支社(現在))/橋梁構造全体の設計,施工計画、および積算
○金箱 温春(有限会社 金箱構造設計事務所)/木橋部の構造設計
○潤井 駿司(有限会社 金箱構造設計事務所)/木橋部の構造設計
《主な関係組織》
○鳥取市教育委員会/整備事業全体の企画、発注、マネジメント
○史跡鳥取城跡保存整備検討委員会/復元案及び整備工法の学術指導・助言
○株式会社 文化財保存計画協会/基本構想立案、歴史考証
○大日本ダイヤコンサルタント 株式会社/構造物の設計、積算、施工計画
○有限会社 金箱構造設計事務所/木橋の設計
○戸田建設 株式会社 広島支店/工事全体の施工
○株式会社 楢崎製作所 資材工務課/二相ステンレス製水中梁の製作
《設計期間》
2013年09月~2016年3月
《施工期間》
2016年12月~2019年3月
《事業費》
0.3億円(設計費)+ 5.8億円(工事費)
《事業概要》
橋長 36.642m
支間割 6.187+4.152+3.788+4.455+4.061+3.121+4.848+6.030m
幅員 4.84m(有効幅員)

橋梁構造
上部構造  木橋(8径間)、5本の主桁(檜)を3列の脚(栗)で支える
下部構造 水中梁:2相ステンレス製水中梁(3径間)
基礎工  既設基礎工
《事業者》
鳥取市教育委員会
《設計者》
株式会社 文化財保存計画協会
大日本コンサルタント 株式会社
有限会社 金箱構造設計事務所
《施工者》
戸田建設 株式会社
<施工協力者>
NPO法人 小田原鋳物研究所
有限会社 渡辺梵鐘
株式会社 いちい
日鉄ステンレス 株式会社
株式会社 楢崎製作所
有限会社 川本造園
株式会社 大昌エンジニアリング
株式会社 モクラボ
平山工務店

講評

 鳥取城では復元工事が進む中、その整備の嚆矢として本橋が復元された。幅員5m弱、橋長36mの小さな木橋のなかに、関わった人たちの思いや責任感、創造性や構想力がギュッと濃縮されている。1621年に創建され、1897(明治30)年頃まで現存していた木橋の復元である。大手登城路の一部として鳥取城の大切な入り口であり、お城全体を見据えた復元整備の端緒でもあることから、設計にあたっては、この橋の真正性(オーセンティシティ)が最大限の努力をもって検討された。この橋を渡る人々にとっては、木の橋を丁寧に復元したんだと感じるだけかもしれない。もちろん、そのこと自体も、現行の基準に合わせながら実現するのは、木材の厳選(赤身材)や表面処理、乾燥の方法など材料に関する手間や、高欄の構造も外観から目立たない箇所で両引きボルトにより桁に圧着することによって性能を担保するなど、多くの努力や配慮が必要である。しかし、この橋の実現におけるハイライトは、水の中の見えないところにある。この水中には、発掘で判明した3世代69本の橋脚遺構があるのだが、それらを避けるように組まれた、細長い八角形の二相ステンレス材による梁が、この橋を支えている。これは400年の歴史を引き継ぎ、未来に繋げるために半永久構造物としてつくられ、上部の木橋の架け替えにも十分に配慮されている。また、自然石に覆われた橋台の収まりも自然である。このような努力を通して実現された佇まいはとても静かだが、「あるべきものがあるべき姿で自然にある」という土木デザインの理想的な姿がそこに現れている。(星野)

 江戸初期から明治後期まで鳥取城の正面玄関に架けられていた木橋が現代の技術で復元された。お堀の底に現存する木の橋脚遺構を保全しながら往時の景観を史料に基づき忠実に再現するという難易度の高い課題に対し、現代の技術と伝統的な工法を高次元で組み合わせ見事に解決している。その技術の核心は、水面の下、外からはほぼ見えない部分にある。戦後1960年代に架けられ今回の事業を機に撤去されることになった3連PC床版橋の2箇所のRC基礎を利用し、その上にステンレス製フレームによる水中梁が遺構を避ける形で設けられている。また、その水中梁両端の橋台をRCとステンレス蓋による袋状構造としすべてを水中で処理することでコンクリート橋台を露出させず、外観として往時の景観を再現する技術的工夫がなされている。木橋脚を水中梁に固定するプレートが見えるが、本来の木橋には存在しない形態要素である。しかし、特に外観上の違和感はない。木橋部分は史料を丁寧に読み解き、構造や形態意匠を合わせるのみならず、使用する木材も当時と同じ樹種が選定されるとともに、耐震を含む現在の設計基準を満たした設計がなされている。橋の完成後、隣接する中ノ御門表門や中ノ御門渡櫓門など周辺の復元整備も進んでおり、歴史と風格が感じられる空間が生まれている。国の史跡エリアへの象徴的な入口として、また、地域の歴史や文化的価値を未来へとつなぐ存在として、さらには、鳥取市の市街地の魅力を高める観光の拠点として、最優秀に値する土木デザインといえるだろう。(久保田)