神戸市中央区加納町、北長狭通
街路、駅前広場、駅施設、商業施設
1995 年の阪神・淡路大震災から復興を遂げた神戸市は、新たなステージに移行すべく、6 つの駅が集中する中核拠点・三宮地区を回遊性の高い歩行者空間によって一つの大きな「えき」に再編し、歩行者空間と沿道建物が連携して三宮地区全体を歩行者主体の空間へ転換する「えき≈まち空間」構想を策定した。これに連動して、三宮交差点を中心に東西(中央幹線)・南北(税関線フラワーロード)2 本が交差する都市軸を「三宮クロススクエア」と呼び、これらの車線を大幅に削減して歩行者空間を拡大する整備事業を推進している。当該事業は、そのパイロットプロジェクトであり、この整備の効果が「えき≈まち空間」の今後を占うといって過言でない。
阪急電鉄は、神戸三宮阪急ビルの建替と高架下店舗の再整備に着手し、景観の要であった震災前の旧駅ビル外観を基壇部に再生し、発展を象徴する高層部と新旧が調和した街のランドマークを創出した。これに合わせて神戸市も、隣接する公共空間「サンキタ通り・サンキタ広場」の再整備を決め、官民一体によるプロジェクトとした。サンキタ広場は「えき≈まち空間」の象徴となる斬新な幾何学造形でリニューアルし、広場や民有地と段差なく統一の自然石舗装でプロムナード化した街路空間は、設えや通行規制により歩行者の利活用を促進して、さらにエリアマネジメントによって路上イベントや店舗のオープンテラス営業など地域主体の賑わいを創出した。街路を活用するテラス営業は、官民で構成した組織を占用主体にコロナ占用特例で実現したもので、これを「ほこみち制度(歩行者利便増進道路)」へ移行して継続し、地域主体の管理・利活用を具体化した。さらに、サンキタ通りに並行する阪急高架の南側民有地も店舗が賑わう路地空間に再整備し、高架下の自由通路で連絡することでサンキタ通りの賑わいを1 本の線で終わらせず、面的な回遊動線に拡大して周辺地域へ賑わいを伝播している。
阪急三宮駅高架下空間を開放して実現した、ウォーカブルな街並空間である。高架下開口部D/H比や舗装の引き込み、官民境界の処理などにはデザインの工夫が凝らされている。実現できたのは「車両通行止(荷物6-17)」の交通規制のおかげである。日中は営業車両は交通可能だが夜は「歩行者天国」になる!北側の商店街アーケードや飲み屋街の街並みがそのまま残り、新旧のまちの互いに見る/見られる関係は時代の「断層」のようである。アーケードには(盛り場らしく)排水桝近くにゴミが集積していた。高架側は建物内に隠されていたが、新たに整備された歩道を横切って流れた水跡は逆に鮮明だった…。
駅前広場や高架沿いにあった樹木は伐採され、新植された数本と鉢植が並んでいた。高架の日陰となり樹木は不必要なのかと思いきやパラソルが開き、広場では人々が周囲のビルの陰を追いかけるように座る位置を選んでいた…。まちの特徴を読み解き、問題の解決に誠実に取り組んだデザインは街並の質を高めた優れた作品として多くの委員に評価された。ただ私には、かつての歴史の一部がなぜ継承されなかったか理解し切れず、使い方にも今後に判断を委ねる部分が残った…(篠沢)
都心三宮再整備が目指す、駅周辺の交通再編と歩行者優先の空間づくりのモデルを示したリーディングプロジェクトである。
以前は通過交通や路上駐車が多く夜は歩車が交錯していた空間が、通行規制やタクシー乗場の移設により一般車やタクシーを排除し、荷捌き車両を時間制限で通すことで、実質夕方以降は歩行者天国のような場所に変貌した。建物店舗1Fがまちに開かれ、お洒落な店舗が入居するオープンテラスが実現し、夜間景観も刷新され、昼夜にわたり通行する人や飲食を楽しむ人の姿が絶えない。高架下の裏通りも路地にお店が滲み出し、面的に歩きたくなる空間が生まれている。コンペで選定されたサンキタ広場とサンキタ通りは車道の分断なく連続した空間となり、リズム感のある灯りの列柱が奥まで歩きたいと思わせてくれる。
都市構造を大きく変えた周辺の交通再編や建物の道への開き方などが提案範囲に含まれていれば審査での評価はさらに高かった。広場活用やオープンテラスは、地元のエリアマネジメント組織が社会実験を重ねつつ運営を行っており、活用とともにどこの繁華街でも課題となっているゴミ・駐輪・スケボーなどの地域環境を改善するアイディアを期待している。(泉)