大分県佐伯市大手町2丁目2番28号
広場、バスターミナル、駐車場、文化施設、情報発信施設
大手前地区は、佐伯藩の城下町としての歴史があり、文化の中心地として栄えてきた。昭和に入ってからも壽屋(九州最大手スーパー)の発祥の地として、市内で最も賑わうエリアであった。しかし、郊外型商業施設の進出によって壽屋が2002年に閉店、商店街の大規模な火災の発生により人の流れも無くなり、長く空き地のまま臨時の駐車場と化していた。市が敷地を取得し、2010 年に大手前開発基本構想を策定、同地区の振興を目指す拠点施設の計画が開始された。しかし、地権者以外の市民に十分な説明が無いまま、施設規模が当初の4 階から13 階に変更される事態を招いた。市民の反発が相次いだことから、2012年、市長は事業の白紙撤回を表明した。
こうした経緯を踏まえ、市は大手前地区の再起をかけ、徹底かつ多様な市民参加のプログラムを導入し、周辺まち並みとの景観的調和や地区内の既存商店街、周辺エリアとの繋がり、活性化を目的とした整備計画の実施を目指した。
道路形状を変更提案して街区のまとまりを生み出し、歩行者の安全性だけでなく、地区全体を活用したイベントの開催を促した。バスターミナルの再編と一体的な道路舗装等の総合的な計画とともに、2つの広場および歩行者空間に人の居場所を効果的に配置することで、市民が日常的に憩える風景をつくり出した。
桜ホールやバスシェルター等の建物は、分節した屋根・壁面を採用し、周辺の古い町並みや寺社のある景観との調和を図った。桜ホールは通りに賑わい感が表出するようにガラス張りとし、北側サッシをフルオープンとすることで、屋内外が有機的につながり、周辺商店街と連携したイベントの開催なども可能な拠点地区となった。
地方都市に突如現れる多目的ホール。一見すると全国どこにでも見られる風景だが、ここでは、地方都市における多目的ホールの価値が十二分に発揮されている。城下町佐伯の昔ながらの中心地であった当地は、再開発計画が白紙撤回されるなどの紆余曲折があり、長い間、臨時の駐車場というただの空き地であった。市民会議とともに再スタートした事業は、改めて佐伯市民が求める場所とは何かというものを模索していったのだろう。その成果が、さまざまなレベルで反映されている。例えば、交通計画。当初は、バスは敷地中央からアプローチし、既存広場と商業施設を分断するルートであったが、バスを大きく迂回させ、駐車場と一体化したロータリーとすることで、敷地中央の道路のコミュニティ道路化しつつ、並木とユニークなベンチが点在する広場を創出している。あるいは、ホールと道路、広場の一体性。ロビーからは、広場が城山を借景とした伸びやかな前庭となり、集う人々の風景も目を楽しませてくれる。他にも、周辺にインパクトを与えないように分節された屋根や小庇を持つホール、さまざま素材を組み合わせ、楽しくユーモラスで、人々の行為を誘発するファニチャー群など、多くの工夫がきめ細やかに展開されている。ホールロビーや外部の様々な場所のベンチにも、多くの人がそれぞれに憩っている。隣接地にはリノベーションされたカフェも開かれ、周辺にもにぎわいが波及している様子である。土木、建築、ランドスケープ、そして市民活動が密度高く一体化したトータルデザインの結晶である。(星野)
城山、武家屋敷、商店街などのエリアの結節点となる総合スーパー跡、市民の反発で動かなかったまちの中心地を見事に生まれ変わらせた。
バスやタクシーなどの車の交通を西に集約して、各広場や施設の人の空間をメインストリート沿いに再編するアイディアがこのプロジェクトの肝である。日常的に安心して歩いたり滞留したりできるシーンが生まれ、また道路や広場を使ってイベントをしやすいようなまちの構造となった。
個性あるそれぞれ名前の付いた公共空間、まちに開かれたホールを市民は使いこなしている。訪問した日には、通りを歩行者天国にして地域のイベントが行われており、店舗やキッチンカーが出店し、さくらごろごろぱーくでは芝生でくつろぐ姿があり、ホール内ではご飯を食べる、ダンスの練習、料理教室などが行われていて、ホール内と外のスペースは視線が通り一体感がある。ホールの部屋はすべて使われており、運営ボランティアの市民主催のイベント案内があった。事前にキーパーソンが集まり完成後の利用イメージを共有し、オープン後は映画やイベント開催を市民有志が担い、本棚の選書やかわいいポップにはおもてなしが感じられる。周辺エリアにはリノベーションが進行しており、今後の連動が楽しみである。
ランドスケープは夜景も含めて丁寧なデザイン、周辺の街並みに調和し建物は適度に分節化され圧迫感はまったくない。城山や隣接する広場や道路への動線や視線がみごとにデザインされている、既存の野外劇場もうまく取りこんでいて、全体のデザイン監修の枠組みの賜物である。(泉)