選考結果について

奨励賞

やまだばし思い出テラスYamadabashi Omoide Terrace

鹿児島県姶良市下名地内
河川改修計画に伴う橋梁の架け替え及び橋詰跡地の緑地広場

やまだばし思い出テラスは、小さな土木の充実により、地域の生活風景を継承した豊かな道路残地空間を創出したものである。
鹿児島県姶良市の中山間地域を流下する清流・山田川に架かる旧山田橋は、昭和4年に竣工した橋長60mの威風堂々
たる鉄筋コンクリート橋であったが、山田川の河川改修に伴い架け替えられることになった。アール・デコ調の親柱と高欄を有し、昭和モダンの薫り漂う旧山田橋の橋上空間は、この地域の印象的な生活風景であった。
新しい山田橋の竣工後、90年近く地域に供した旧山田橋の解体に際し、地域の中心である山田小学校を場に、旧山田橋の労をねぎらう各種の世代間交流が実施された。その後、地域から旧山田橋の利活用を望む声が多く集まり、事業者である鹿児島県は、地域と協働して跡地の利活用提案を行っていた第一工業大学羽野研究室に協力を依頼し、旧山田橋の面影を大きく残す跡地整備を推進した。
やまだばし思い出テラスは、山田川両岸の旧山田橋の橋詰跡地、および、右岸の道路跡地の3か所に緑地を整備したものである。旧山田橋の印象を継承し、地域の生活風景の記憶をつなぐとともに、地域の子供とお年寄りが世代を越えて交流する憩いの場を創出した。両岸の橋詰跡地には、旧山田橋の重厚なコンクリート高欄を転落防止用柵として移築・転用し、安心して山田川を望む緑地のテラス空間を整備した。右岸の道路跡地には、旧山田橋の軸線に沿った緑地のプロムナードを整備した。昭和モダンの薫り漂う意匠造形と、エイジングにより表出した玉石骨材の風合いが古城のテラスのような雰囲気を醸し、眼前に広がる山田川の伸びやかな風景と、固定堰を流れ落ちる水音や爽やかに吹き抜ける風が、五感を心地よく刺激する体験を提供している。
やまだばし思い出テラスは、歴史的土木施設の保存・利活用により解体撤去に伴う生活風景の損失を緩和するとともに、残地の道路空間を地域の豊かな生活空間に変える小さな土木のデザインを実践したものである。

《主な関係者》
○羽野 暁(第一工業大学 専任講師(当時)、九州大学 特任准教授(現在))/跡地利活用の提案、全体デザイン方針の立案、基本設計、WS企画・運営、現場デザイン監理
○下村 愿(山田校区コミュニティ協議会会長(当時))/地域住民組織の代表として、橋梁解体後の跡地利活用に向け住民をリード
○瀬戸口 勉(山田校区コミュニティ協議会会長)/地域住民組織の代表として、橋梁解体後の跡地利活用に向け住民をリード
○佐藤 秀紀(姶良市立山田小学校校長)(当時)、出水市立西出水小学校教諭(現在))/地域活動の核となる小学校の校長として、生徒と住民に多くの場を提供
○寺園 太(鹿児島県姶良・伊佐地域振興局(当時)、鹿児島県砂防課(現在))/事業実施計画、事業の推進
○村田 弘行(鹿児島県姶良・伊佐地域振興局(当時)、姶良市水道事業部(現在))/事業推進、現場での施工監理、施工業者との調整
○牛堀 武志(株式会社建設技術コンサルタンツ)/橋梁解体および公園整備に係る詳細設計
○西谷 登(福永建設株式会社)/公園整備の現場を監督、芝張り体験WSを運営
○吉村 晃樹(第一建設株式会社)/エイジングの風合いを残した橋梁の解体工事の現場を監督
○横山 章大(株式会社岩澤組)/エイジングの風合いを残した橋梁の解体工事の現場を監督
○前原 嘉也(インフラテック株式会社)/新設コーナー柱のテクスチャー検討、製作見学会WSの運営
《主な関係組織》
○山田校区コミュニティ協議会/第一工業大学羽野研究室、山田小学校とともに多くのWSを運営し、フットパスや歴史ウォーキングを通して、山田橋の利活用を推進
○山田小学校/歴史紙芝居WS、灯篭づくりWS、灯篭点灯式、芝張りWS等を通して、生徒や地域に山田橋の利活用に関する気づきの場を数多く提供
《設計期間》
2017年7月~2018年3月
《施工期間》
2018年1月~2018年6月(旧山田橋解体)
2018年10月~2019年3月(跡地広場整備)
《事業費》
6,200万円(旧山田橋解体の事業費)
1,400万円(跡地広場整備の事業費)
《事業概要》
面積:299.0m2(右岸橋詰跡地:67.9m2、左岸橋詰跡地:64.3m2、右岸道路跡地:166.8m2)

高欄移築総延長:38.5m

立地環境:清流・山田川を望む川辺のテラスとして、山田川の豊かなせせらぎを見渡すことが出来る。地域の歴史的景観を残す山田麓のメインストリートである新馬場通の端部に立地する。新馬場通を挟み相対する端部には地域の象徴的建造物である石造りアーチの山田の凱旋門が立地する。本施設に移築した旧山田橋のアーチ状の高欄形状は、山田の凱旋門を模したものと地域に伝わる。

主要施設:橋詰跡地の緑地広場(右岸、左岸)、道路跡地の緑地プロムナード(右岸)
《事業者》
鹿児島県姶良・伊佐地域振興局
《設計者》
株式会社 建設技術コンサルタンツ
〈設計協力者〉
第一工業大学 羽野研究室
《施工者》
福永建設 株式会社(跡地広場の整備)
第一建設 株式会社(旧山田橋の解体)
株式会社 岩澤組(旧山田橋の解体)
〈施工協力者〉
インフラテック 株式会社(跡地広場の整備)

講評

いま全国で、老朽化したインフラの更新が進行中である。このプロジェクトも、昭和4年に竣工し、90年ものあいだ地域の暮らしを支えてきた山田橋が、河川改修に伴って架け替えとなったことによって生まれた。旧橋の利活用を望む地域の声に、大学の研究室が応えた、手作り感の高いプロジェクトで、同じ土木関係者として頭の下がる思いである。
具体的には、旧橋の敷地を含む道路残地に、旧橋に設置されていたアール・デコ調の親柱や高欄を橋詰広場の防護柵として配置している。周辺の山並みや水音を立てる堰とともに、素朴で心温まる風景である。
しかし、橋の記憶とはモノだけに託されるのだろうか。旧橋の線形をトオセンボするように配置された高欄を見ながら、ここに橋が通っていたというコトが、むしろ隠されてしまうのではないかという疑問も湧いてきた。土木の本質とは、構造物というモノとともに、道のネットワークや往来というコトにも、宿されているのではないだろうか。(星野)