京都府京都市 東山区・中京区・下京区
街路
「誰もが歩いて出かけたくなる、道路空間と公共交通空間を整えて、賑わいあるまちを創る」ことを事業の根幹として、美しさとともに、道路の機能、安全・使いやすさ、沿道地域との関係等も踏まえた「空間デザイン」、関係主体の相互の役割分担、工程管理を明確化した「プロセスデザイン」によって、『活動する人(暮らす人、来訪する人)の在り様も含めたまちの姿をデザイン』するものとして、京都のメインストリートである四条通の道路空間の再配分を目指したものである。
平成17年に、地元からの要望を受けて、事業がスタートしたことに特徴があり、新たに立ち上げた推進協議会などを通じて、当初から地元と行政がプロセスを共有し、一つになって取り組んだ。また、沿道だけを対象としたプロジェクトではなく「地区全体を対象とした交通マネジメント」、プロジェクトやマネジメントによる「まちの活性化(交通まちづくり)」が前提になった事業である。また、プロジェクトを進めるなかで、京都市総合交通戦略の策定、「歩くまち・京都」憲章の制定、周辺細街路の歩行者対策の推進など、京都市の交通政策のトータルデザインを構築・体現するリーディング事業となった。
街路デザインについては、東西を貫く交通機能、まちなか商業地・居住地における空間機能の両面から考える必要があり、トレードオフの関係になるものも多い中、計画から約10年間にわたって、地元関係者や交通管理者などと課題を共有し、合意形成を進め、機能性と実用性が調和したデザインとして、バス停やタクシー乗降場の集約、荷捌き車両向けのスペースの確保と運用ルールの徹底などを含む四条通歩道拡幅事業を平成27年10月に完成した。
竣工して5年が経過した現在、周辺細街路とともに、ベビーカー連れや車いすでまち歩きを楽しむ姿、横並びで会話を楽しみながら歩くグループの姿など、まちなかの目指すべきデザインを表現する空間となった。
バス待ちの人の列をかき分け、人や自転車とぶつかりながら歩いたかつての四条通の歩道を知るものには驚きの変化である。歩道の拡幅によってもたらされた余裕、白っぽい舗装が広がることで明るさが増した歩行空間などで、四条通の印象は大きく変わった。歩道を半分覆っている既存の歩道の屋根がかえって重く感じるほどである。地元からの要望によって始まった事業とはいえ、夥しい関係者間の調整に時間と労力がかけられただろうことは想像に難くない。京都という大都市の中心部でこのように大胆な道路の変更が可能であったことは、今後の道路の再整備を目論む多くの都市に対してもひとつのモデルになるだろう。バス停の構造物や歩車道を分ける柵など、新設された構造物に、京都を訪れる環境客が期待するような京都の記号が安易に施されていないところも好感を抱いた。そのために、通りに面した店舗それぞれの個性的な表情が引き立っている。街の骨格を支えつつも必要以上に図として際立たせない、土木デザインとして称賛に値するプロジェクトであると思われた。(石川)
このプロジェクトは、まさに不可能を可能とした歩道拡幅事業といえるだろう。何年にもわたる社会実験と地元協議を重ね、地域として取捨選択を行い、歩行者の通行時の快適性と交通の利便性の両方を兼ね備えたストリートを実現している。テラス型のバス停は、ゆるやかに乗降客と歩行者の混在を緩和しており商店街景観の大きな改善につながっている。障壁となりがちな地元事業者の荷捌きやタクシーの駐停車などに関しても、ち密な調査や協議を経て、場所を特定しエリアとしてのルール作りによって解決策を見出している。四条通を南端とするまちなかエリアにおいても、道路のカラー舗装や交差点の改修、部分的な舗装改修などを行い、できることから少しずつでも安全性や景観を改善しようと取り組んでいる。世界屈指の観光地である京都市内中心部において、多様な地域の主体が合意形成できていることは、他の中心市街地や観光地での交通計画再編事業に、手法を示唆し勇気を与えてくれる事例であると高く評価された。筆者にとっても学生時代を含め第二のホームグラウンドでもある京都における驚きの改修であり、今後の活動や取り組みを心から応援したいプロジェクトであった。(長町)