選考結果について

最優秀賞

山国川床上浸水対策特別緊急事業Special emergency projects for the control of above-floor inundation at Yamakuni River

大分県中津市本耶馬渓町、耶馬溪町
家屋等の床上浸水被害の解消(堤防整備、河道掘削)

名勝耶馬渓を流れる一級河川山国川では、平成24年7月3日及び14日の九州北部豪雨により、観測史上最高の水位を記録する洪水が発生し、両日とも200戸近くの家屋等が浸水する甚大な被害を受けた。被災直後から堤防整備や河道掘削等の治水対策の検討に着手し、当初は再度災害防止の観点から、重要な名勝構成要素である河道内の奇岩掘削や馬溪橋(国内第4位の橋長の石造5連アーチ橋)の架け替え等を含む治水優先の検討が進められた。しかし、中津市・文化庁・国土交通省で協議を重ねた結果、奇岩や馬溪橋の保全と治水を両立させた対策案に見直し、平成25年8月「山国 川床上浸水対策特別緊急事業(以降、床対事業)」に着手した。
事業区間(約10km、計13地区)には、奇岩・秀峰、瀑布及び石橋等が点在する昔ながらの素朴な風景が残っており、そうした風景の保全と流域としての連続性を感じられる景観の創出を目指し、①景(全体)「周辺景観との調和を図る」、②構造「構造物を風景に馴染ませる」、③細部(利用者目線)「素朴な風景を感じられるように配慮する」をコンセプトに設計・施工を進めた。
床対事業の時間的制約(5 年で事業完了)、及び対策地区が計13地区に渡るという厳しい条件のなか、前述のコンセプトや全地区共通の設計・施工時における留意点等を整理した「景観カルテ(九州地方整備局独自の既往取組)」、景観カルテの記載事項を設計施工要領図や事例写真等を用いて具体的に分かりやすく詳細に示した「山国川ルール(本事業独自の取組、事業完了後も継続活用)」という全体から細部までの景観配慮事項を抑えた2つのツールを関係者間で共有することで、同時並行で設計・施工が進む各地区の景観の質の底上げと連続性の確保に努めた。
竣工後2年が経過し、河原や石積みからの植生の生育や構造物表面のエージングが進み、対策箇所の境界が曖昧になり、名勝耶馬渓の風景に溶け込みつつある。

《主な関係者》
◯小林 一郎(熊本大学教授(当時)熊本大学特任教授(現在))/景観ワーキング委員、多自然川づくりアドバイザー、CIMを活用した景観検討、デザイン指導
◯萱場 祐一(土木研究所上席研究員(当時)土木研究所水環境研究グループ長(現在))/多自然川づくりアドバイザー、 景観・環境・維持管理の観点からのアドバイス
◯増山 晃太(熊本大学学術研究員(当時)風景工房(現在))/景観ワーキング委員、設計・施工段階でのデザイン指導
◯森元 賢哉(株式会社東京建設コンサルタント)/全13地区の治水対策、河道計画の検討
◯伊東 和彦(株式会社東京建設コンサルタント)/全13地区の景観検討、景観カルテ・山国川ルールの作成
◯梶原 隆行(九州建設コンサルタント株式会社)/上曽木・中川原・柿坂、外5地区の詳細設計
◯谷口 健二(九州建設コンサルタント株式会社)/冠石野・平田・戸原、外2地区の詳細設計
《主な関係組織》
◯熊本大学 空間情報デザイン研究室/CIMを活用した景観検討、デザイン指導
◯熊本大学 くまもと水循環・減災研究教育センター景観デザイン研究室/デザイン指導
◯国土交通省 九州地方整備局 山国川河川事務所/事業の実施、設計・施工の管理
◯中津市/馬溪橋を保存する方針を決定した馬溪橋検討委員会を主催
◯株式会社 東京建設コンサルタント/全13地区の治水対策と河道計画の検討、及び景観検討
◯九州建設コンサルタント 株式会社/全13地区のうち、上曽木・中川原・平田・柿坂、外7地区の詳細設計
◯株式会社 川原建設/全13地区のうち、蕨野・上曽木・中川原・平田、外7地区の施工
◯笹原建設 株式会社/全13地区のうち、冠石野・平田・戸原・小友田地区の施工
◯梅高建設 株式会社/全13地区のうち、冠石野・多志田・平田・戸原地区の施工
◯株式会社 福原組/全13地区のうち、冠石野・多志田・平田地区の施工
◯松山建設 株式会社/全13地区のうち、青・平田・柿坂地区の施工
《設計期間》
2013年5月~2018年3月
《施工期間》
2013年6月~2018年6月
《事業費》
約73.5億円
《事業概要》
基本諸元
 事業区間:山国川15k400(中津市本耶馬渓町樋田地区)~25k600(中津市耶馬溪町柿坂地区)の約10km
 事業地区:13地区
 立地環境:事業区間・事業地区は「国指定名勝耶馬渓」及び「耶馬日田英彦山国定公園」内に位置する。
 堤防整備:L=14km(左右岸合計)
 河道掘削:V=300,000m3(合計)
13地区別の主要な治水対策メニュー
 ①樋田地区 堤防整備
 ②曽木地区 堤防整備
 ③青地区 堤防整備(青の禅海橋より下流区間のみ/上流区間は床対事業着手前に整備済み)
 ④上曽木地区 河道掘削
 ⑤蕨野地区 堤防整備、河道掘削
 ⑥冠石野地区 河道掘削
 ⑦多志田地区 堤防整備、河道掘削
 ⑧中川原地区 堤防整備、河道整備
 ⑨平田地区 堤防整備、河道掘削、馬溪橋流下能力向上対策
 ⑩戸原地区 堤防整備
 ⑪小友田地区 河道掘削
 ⑫栃木地区 堤防整備、津民橋流下能力向上対策
 ⑬柿坂地区 堤防整備
《事業者》
国土交通省 九州地方整備局 山国川河川事務所
《設計者》
株式会社 東京建設コンサルタント/全地区の河道計画、景観検討
九州建設コンサルタント 株式会社/上曽木・中川原・平田・柿坂、外7地区の設計
九建設計 株式会社/樋田・曽木・多志田・中川原・平田地区の設計
三井共同建設コンサルタント 株式会社/多志田・平田・栃木地区の設計
川崎地質株式会社/多志田地区の設計
〈設計協力者〉
熊本大学 空間情報デザイン研究室
熊本大学 くまもと水循環・減災研究教育センター 景観デザイン研究室
《施工者》
株式会社 川原建設/蕨野・上曽木・中川原・平田、外7地区
笹原建設 株式会社/冠石野・平田・戸原・小友田地区
梅高建設 株式会社/冠石野・多志田・平田・戸原地区
株式会社 福原組/冠石野・多志田・平田地区
松山建設 株式会社/青・平田・柿坂地区
河津建設 株式会社/中川原・柿坂地区
岡上建設 株式会社/樋田地区
後藤建設 株式会社/小友田地区
株式会社 川浪組/平田地区
株式会社 小森建設/曽木地区
株式会社 久保組/多志田地区

講評

あたたかい気持ちにさせてくれる仕事、それが延長10kmの広範囲に展開する本デザインの対象地を見終わったあとの印象である。耶馬渓といえば、数々の岩峰や奇岩群が目を奪う渓谷美である。しかしその精髄は原生自然ではない。ところどころ点在する祠堂や石仏、頼山陽以来の数多のゆかりが刻まれた名所の数々。荒々しい奇峰を背景に展開する沿川ののどかな集落、その暮らしの履歴をいまに伝える石橋や手掘りの隧道、鉄道の廃線跡。風景とは、自然の営みと人の営みの共同作品であることを、あらためて実感する。今回、山国川の支流のひとつである深耶馬渓と呼ばれるエリアから本耶馬渓に入り、対象地を経由して最下流の中津までをたどった。本作品の対象地は、そのうちおよそ三分の一に近い延長を占めるが、先述したような耶馬渓の風景の特質が、一貫してシームレスに保たれ、またごく自然に変化していくことに、深く感銘を受けた。災害対策の人為が、とてもさりげなく、そこにある環境に同化している。とくに掘削による河床のデザインは、それが人の手によるものであることに、一般来訪者が気づくことはまずないだろう。自然と人の営みにたいする深いリスペクトに裏づけられた、誇りある土木の仕事だと思う。満腔の敬意を表しつつ、一方で、気になった点にも言及しておきたい。個人的には、河川空間と人の暮らしの空間の境界部のディテール(たとえば堤内側の段差の処理や広場状の空間、ストリートファニチュアなど)の荒さが、気になった。山国川ルールを今後展開していっそう印象深い耶馬渓にしていく際の、改善点にしてほしい。(中井)

5年間で調査→計画→協議→設計→施工を終える災害特別緊急事業で、その間に九州地整独自の景観カルテを活用し山国川ルールを整備して、10km区間13地区の設計と工事に全体から細部にわたるまで、景観の質的向上と統一が図られ、昔ながらの田園風景に馴染む河川景観を整備させた手腕には感動を覚える。
川というものは上流から下流に自然に流れるものであるが故に連続するもので、その流域としての景観も連続していかなければならない。これに山国川ルールで、①周辺環境との調和、②構造物を風景に馴染ませる、③利用者目線で素朴な風景を感じられるよう、をコンセプトに設計・施工された。
適度なエージング効果を用いながら、既設構造物との違和感ない連続性を実現し、人工的なブロックを用いず周辺の石積みと馴染ませることで、人工的な境界線が曖昧に自然化し、新旧境界が曖昧になり、見事に名勝耶馬渓の風景に溶け込んでいる。
ブロック積一つとっても、天端の処理、コンクリート壁の面取りまでのルール決められており、ルール作りに強力なリーダーシップを感じた。通常は掘削によって流れ易い平坦な河床とされるところを、自然に馴染ませるために起伏を模型で検討し、3Dスキャンしてデータ化し、ICT施工で掘削しているところも丁寧である。
名勝耶馬渓は石造アーチ橋長日本第1・3・4位の耶馬渓三橋が架かる石橋のメッカでもあり、馬渓橋が当初計画では撤去して架け替え予定だったものを、河道検討を行い存置されたことも、地域の風景が保全され寄り添う好例である。耶馬渓は正しくヤバ景だった。(丹羽)