大分県津久見市徳浦宮町4
広場
とくらんパークは民間遊休地を地域住民の豊かな日常生活に資する公共空間として再生した広場である。対象地は津久見市徳浦地区にあり、同市に本社を置く戸髙鉱業社の遊休地(旧屋敷跡地)として長らく残存し、西側の一部が月極駐車場として使われる以外、塀に囲まれ、人が立ち入れない場所であった。東側は高さ10mを超える樹木が繁茂し、日当たりの悪さに加えて旧屋敷の庭にあった井戸や水路が放置され、水捌けの悪さと蚊の発生が問題視されていた。一方、対象地南西側と南東側に位置する幅員約3.0m の道路は、小学生の通学路であるにもかかわらず歩道がなく、トラック等も多く往来する危険な状態にあった。
本事業ではまず旧屋敷の塀を解体し、周囲からの見通しを確保、解体した塀に使われていたレンガや灰石は広場内のステップや縁石に活用し、地元資源の再利用と旧屋敷の記憶継承を図った。また南および南東に接道する民地側に歩道を組み込み、歩車分離道路として上記通学路の安全性を向上させた。日当たりの悪い東側は樹木を剪定し、段差を解消して周回できる園路を設置する等、風通しの良い伸びやかな緑の広場に生まれ変わった。また鉱山を持つ戸髙鉱業社に石灰石の支給を依頼し、蛇籠ベンチやサイン等、地元資源を活かした付属物のデザインを図った。既存井戸も手押しポンプを新設して子ども達の水遊び場として再生、中央北側はアイストップとなるヒノキのパーゴラを設け、休憩スペースとした。工事段階では近隣住民や小学生らと芝張りを行い、広場への愛着を促すきっかけづくりを企図した。
本広場は民間企業による整備でありながら収益性を第一とせず、近隣住民の散歩や交流といった地域コミュニティの暮らしの豊かさと通学路の安全性向上に貢献している。地元資源や敷地の記憶を広場のデザインに取り入れ、地域のゆとりや災害時の避難地としても、広場が存在すること自体の価値を再確認させる事例といえる。
まちを走ると石灰石の採石場やベルトコンベア、工場群が立地し、特徴的な景観が目を引く。この公園は、そういった地域の特徴をデザインに丁寧に引き込む。
円弧を描く園路の先に煙突やサイロなどを望み、石灰石を側溝やベンチのじゃかごに用いて、公園を利用しながら津久見らしさを感じる、穏やかで質の高いデザインである。
長い間、閉鎖的な塀にうっそうとした緑が繁茂し地域の安全安心を脅かしている存在だったが、地域コミュニティに積極的にかかわる選択により明るく開けた公園に反転した。
地域の資源を素材として用いたディテールのデザインとともに、狭い街路の安全性を高める敷地内歩道、電力会社に働きかけ移設した電柱、かつての土地の履歴を活かした園路配置、既存樹を活かして緩やかに芝生広場と微地形やオブジェのある丘を形成する計画も秀逸である。
数年前から地域に関わる大学研究室への民間企業からの相談からはじまっており、地域での質の高いデザインの活動の継続が民間に波及した形である。
民間企業がコミュニティの安全安心と豊かさの創出に積極的に関与し遊休地を提供したものであり、地方都市における未利用地の活用に新しい可能性を示した作品である。(太田)
応募書類に記載されていた住民へのアンケート結果が想像していたほど高くなかったことに疑問を抱きつつ現地を実見していた。とくらんパークのランドスケープは①通学路とトラックの通行問題を解決した「家とまちの近景」②家々の屋根越しに「工場と煙突が見える中景」③かつて創業者が見たであろう「砕石場までの遠景」で構成されている。それぞれを(暗に)意識させる動線計画は巧みであった。
「公共」ではできないこと、「民間」だからできることが議論の主題にあったが、私には「それを実現するには丁寧なまちの自然・文化的特徴や歴史の読込みが不可欠であること」を改めて考えさせられた作品だった。
本作品が国内の一般的な地方中小都市における民間遊休地活用の優れた手本になるとしたら、それは「民間だからこそできたこと」のみに注目するのではなく、地元企業や自治体との関係を(安易に)リセットせず、基盤にある漁村の特徴を読み解いた上で、関係の慣性力を残したままで実現したことに学ぶべき点が多いと感じた。今後も継承されていくだろう活動にも期待したい。(篠沢)