岐阜県本巣郡北方町
都市公園(近隣公園)
糸貫川の水辺に整備された「清流平和公園」は、北方町が土地区画整理事業に伴って整備した都市公園である。公園敷地は、岐阜県が管理する糸貫川の河川区域から隣接する敷地へとまたがっており、本事業は、河川管理者である県による河川整備と、町による公園整備を協調して行う「かわまちづくり事業」によって整備された。
本作品のデザインの特徴は、河川と公園との境目を無くし、一体的な空間を形成したことである。これを実現するために、既設護岸の一部区間を撤去し、階段状であった地形をなだらかな緩傾斜へと処理した。さらに、せせらぎ状の水路を、公園から川へと利用者を誘導する仕掛けとして配置することにより、公園利用者が自然に水辺へと誘われる動線を形成した。配置した東屋、ベンチからは、公園から水辺に至る広々とした空間を一望でき、小さな子供をもつ母親らも、安心して子供たちを遊ばせることができる。大人は芝生に寝転がり、小学生はタモ網をもって川で魚とりをしている。そんな水辺の公園を実現した。
整備前の当地は、糸貫川に沿った広い高水敷に草叢が広がっており、その敷地は、低水路、高水敷、地盤が高い平地と、それらを隔てる護岸、法面によって、三段に分断されていた。当初の計画では、河川と公園の管理境界を明確にする意図もあり、元の地形をそのまま用いた設計となっていたが、清冽な水が流れる糸貫川に面した土地の可能性を最大限引き出すため、「水辺をまちにひらく」ことをコンセプトに掲げ、河川と公園の空間の一体化を意図した計画へと、大幅な方針転換を図った。
このコンセプトを実現するためには、河川管理上の技術面・制度面での複数の課題をクリアする必要があった。とくに既設護岸の撤去、河川内への植樹にあたっては、洪水時の流れの数値計算による安全性の検討や、撤去後の維持管理に関する責任の明確化などにより、これを実現した。
とにかくみんな楽しんでいる。大人も子どもも犬も。広々とした芝生。斜面。空間を分節する鉄塔と樹木。人は駆け回り、滑り、横になり、佇む。実に手頃で生き生きとしたせせらぎ。ちょうど良い腰掛け。人は水の感触を楽しみ、涼み、笑い、見守る。そしてこれら人工的な要素によって、いつの間にか導かれた本物の川。そこに潜む生き物。網を片手に川に繰り出す人は、みな真剣な眼差しである。狩猟本能が日頃使わない神経と感覚を呼び覚ます。スーパーマーケットに買物に行ったついでに、こんなに楽しい時間を過ごせるとは、最高の福祉である。
なぜここにこのような価値が生み出されたのか。まずは川というものが有するポテンシャルへのゆるぎない信頼。それを形として引き出すためのエンジニアリング。さらに街と川、人と川をつなぐには仕掛けが必要という想像力。そして現場で形に仕上げる過程の頑張り。大雑把にいうとこのようなことがこの作品の成立要因ではなかろうか。目立った特徴やお墨付きのある場所ではない。困難な技術的課題が先立つわけではない。平凡で、そこそこの設計で終わらせられる(実際そうなりそうであった)サイトにおいても、真剣に場所と向き合い、人を想い、技術力を投入し、最後まで手を抜かずに仕事をすれば、環境に価値は生まれ、空間はよみがえり、人は素直に反応するのである。(佐々木)
整備前は、草で覆われた人気のない高水敷があるだけだった。低水路と高水敷と一段高い平場(公園用地)と、3段に分断された地形構造である。当初計画では、このレベル差をそのままにした絵が描かれていた。単に河川と公園が隣り合っているだけの「一体的」プランである。
当初計画を見直し、糸貫川の水の流れから公園敷地までの高低差を緩やかにつなぎ、河川管理者と公園管理者の境目のない地形処理をした。これが、第一のポイントである。もう一つの課題は、低水護岸の取り扱いである。撤去などできない(と思い込んでいる)。たいていは、ここでストップする。ここでは、水理解析をして護岸を必要とする区間と必要としない区間を区分し、下流側の低水護岸を撤去して段差のない水辺広場を実現した。通常、高水敷には高木は植えられないが、水理解析を基に流出リスクが小さいエリアに高木を配置している。
この河川公園の骨格は、人工のせせらぎ水路である。糸貫川という本物の川への動線として構想された。9月、イベント広場では北方町主催の「きたがた環境フェア」が開かれていた。計画の意図どおり、子どもたちは、せせらぎに沿うように本物の川に入って遊んでいた。せせらぎ水路は、とりわけ小さいこどもと若いお母さんに人気がある。それは、この公園がもっともっと地域に愛される場になっていくであろうことを示唆している。(吉村(伸))
※掲載写真撮影者は左から1枚目が北方町、2~6枚目が原田守啓