選考結果について

優秀賞

「史跡」及び「名勝」嵐山における左岸溢水対策Countermeasures against left bank flooding in Arashiyama as “Historic Site” and “Scenic Beauty”

京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(渡月橋上流左岸側)
洪水時の溢水防止(陸閘整備)

桂川嵐山地区は、文化財保護法上の「史跡」及び「名勝」に指定されており、四季折々の美しい景観を有する日本を代表する観光地である。一方、同地区は治水安全度が低く、特に渡月橋上流左岸の道路高は計画高水位を下回っており、近年毎年のように浸水被害が発生している。
そのため、国土交通省は、平成24年より学識者等で構成する桂川嵐山地区河川整備検討委員会からの治水・環境・景観・観光等に関する助言、地元関係者との丁寧な対話、及び京都府・京都市との行政三者での議論を踏まえながら、同地区の景観や利用に配慮した治水対策を検討してきた。
渡月橋上流左岸溢水対策検討の初期段階では、早期に着手可能な「計画高水位まで道路嵩上げ+余裕高まで固定式止水壁」という案を検討していたが、景観の改変や眺望の阻害が懸念されたため、「道路は嵩上げせずに計画高水位以下を特殊堤+余裕高分を可動部」とした可動式止水壁の検討に舵を切った。可動式止水壁は前例のない構造であるため、実物大の試作機や実証実験による操作性・止水性・漂流物の耐衝撃性・うねりに対する安全性のチェックをクリアした構造を採用した。
意匠については、川・橋・山が一体となった風景が「史跡・名勝の価値」であり、対策区間はそれら風景を眺める視点場であることを検討委員会で共有した上で、「川・橋・山を望む視点場として、風景が主役となるように自己主張を抑えること」「歴史的な雰囲気や周辺施設との調和を図ること」をコンセプトに意匠設計を進め、現地での実物模型や意匠部材の実物サンプルの確認、及び試験施工を通じてコンセプトに合致する意匠部材を選定した。
対策完了後1年が経過した現在、整備前と変わらず地元に親しまれ、多くの観光客で賑わいをみせている。地元関係者からは、「国交省は住民の意見を聞いて真摯に向き合ってくれた。僕らも思い切り意見を言ったので愛着がある」とのコメントを頂いている。

《主な関係者》
○波多野 真樹(国土交通省(当時)、滋賀県 (現在))/事業調整・管理、左岸溢水対策完成時の事務所長
○宗行 正則 (株式会社建設技術研究所)/左岸溢水対策全般の構造検討、土木・機械の詳細設計、可動式止水壁の実証実験の実施
○天野 順次 (株式会社建設技術研究所)/左岸溢水対策全般の構造検討、土木・機械の詳細設計、可動式止水壁の実証実験の実施
○井筒 崇文 (株式会社建設技術研究所)/左岸溢水対策全般の構造検討、土木・機械の詳細設計、可動式止水壁の実証実験の実施
○伊東 和彦 (株式会社東京建設コンサルタント)/左岸溢水対策全般の景観デザイン検討、意匠の詳細設計
○兼子 和彦 (株式会社東京建設コンサルタント)/桂川嵐山地区の景観分析、コンセプト検討
○鮫島 将太 (株式会社東京建設コンサルタント)/可動式止水壁の景観デザイン検討、実物模型の製作
《主な関係組織》
○国土交通省 近畿地方整備局 淀川河川事務所/事業の実施、設計・施工の管理
○桂川嵐山地区河川整備検討委員会/治水・環境・景観・観光等に関する助言
○株式会社建設技術研究所 /左岸溢水対策全般の構造検討、土木・機械の詳細設計、可動式止水壁の実証実験の実施
○株式会社東京建設コンサルタント/桂川嵐山地区の景観分析、コンセプト検討、左岸溢水対策全般の景観デザイン検討、意匠の詳細設計、可動式止水壁の実物模型の製作
《設計期間》
2018年7月~2021年3月
《施工期間》
2019年12月~2022年3月
《事業費》
約20億円
《事業概要》
■基本諸元
・事業区間:一級河川淀川水系桂川 約18k0~18k3
・立地環境:事業区間は、川を含む周辺一帯が風致地区と文化財保護法上の「史跡」及び「名勝」に指定されている。

■主な整備内容
[可動式止水壁]
延長:約260m  
高さ:特殊堤部0~約60cm、止水壁80cm(起立時)
動力:油圧  
扉体:アルミパネル+ステンレス支柱
扉体天端カバー:アルミ鋳物  歩道側天端:石材
歩道側立面:特殊コンクリートパネル

[スイングゲート] ※平常時は脱着式の木柵で修景
形式:アルミ合金製片開きゲート
扉体幅:約8m  
高さ:80cm

[河川護岸]
延長:約240m
護岸形式:自然石野面石積護岸(背面アンカー一体型石積み工法)
法勾配:1:0.3  石の大きさ:φ300mm内外

[歩道]
延長:約275m  
幅員:約2~5m  
舗装:石材
《事業者》
国土交通省 近畿地方整備局 淀川河川事務所
《設計者》
株式会社 建設技術研究所
株式会社 東京建設コンサルタント
《施工者》
飯田鉄工 株式会社
公成建設 株式会社
株式会社 斉藤鐵工所
玉井建設 株式会社
福井鐵工 株式会社
株式会社 吉川組

講評

日本を代表する景観である嵐山を流れる桂川。その一方で治水安全度が低く近年は頻繁に浸水被害が発生している。治水安全度を上げるために河岸を高くすると沿川からの桂川の景観や嵐山の風景を損なってしまう可能性がある難しい箇所である。そこでここでは、河岸の道路のかさ上げをせず、洪水時だけ高くする「可動式止水壁」という前例のない工法にチャレンジしている。現地に行くと渡月橋が主な視点場であるが、新たにつくられた深目地の石積み護岸はその前面の古い石積みとそれほど違和感はない。今後、エイジングでさらに同様の風合いとなるであろう。また前面のツルヨシが残されていることで柔らかな水際景観を形成している。新たな歩道空間は明度を抑えた落ち着いた雰囲気となっており、可動式止水壁の上部も石風の特殊舗装を施したアルミ鋳物とすることで、舗装端部と違和感のないデザインとなっている。可動部という劣化が避けられない構造物の維持管理も含めてこのデザインは歴史的な審判を受ける必要があるが、歴史価値の高い嵐山における河川景観にこだわった取り組みが日本の河川景観を守るための新たな技術の可能性を拓いた。このチャレンジ精神が全国に広がることを期待したい。(中村)

毎年のように大きな水害が発生している現在、治水対策と景観・環境保全の両立を図ることは、切実な課題である。渡月橋から眺める嵐山の景観は、日本を代表する名勝の一つと言えるが、一方で、近年もたびたびの水害に悩まされてきた場所でもある。平成16年台風23号洪水を安全に流すことを目指して平成24年に設置された検討委員会は、景観の改変や眺望の阻害を懸念し、計画高水位までを特殊堤とし、余裕高を可動式止水壁とする決定を下した。この作品において讃えるべきは、まずはこの勇気ある決断だろう。実現された空間は、人々に愛されてきた景観を保全しているだけではなく、丁寧に選択された素材、適切にありつけられた防護柵や化粧パネルの収まり、石風特殊塗装を施されたアルミ鋳物のパネル、あるいは川表も前面の植生を残しつつ、深目地の石積みによって風合いを増す工夫など、周辺に調和するだけでなく、品格高く場所性を高めるものとなっている。護岸天端の石積みがモルタルが露出し、少し雑に見えるのも、その他の質が高いからかもしれない。しかし、止水壁を隠すパネルにガタ付きも生じていた。数十年に渡って可動し続けた時にこそ、この事業の本当の評価はなされるのではないだろうか。(星野)