福岡県八女市長野
平成24年7月の豪雨によって被災した星野川の河川災害復旧・歴史的な石橋の保全・分水路および河川公園の創出
本事業では、治水上の課題解決と同時に、土木遺産である宮ケ原橋(石橋)を保存し、良好な河川環境を保全し、多くの人が集まる拠点を創出した。本事業の特徴は、「治水上の課題の解決」と「洪水の原因である石橋の保全」という一見相反する課題に対し、分水路開削という解決策を提案実践することで、課題解決と合わせて新たな価値を創出する「災害復興」を実現した点にある。
本事業地を含む矢部川流域は、歴史的石橋が多く現存することで知られ、石橋群は地域の象徴の一つであり、重要な観光資源でもある。矢部川流域は、平成24年7月豪雨により家屋損壊や河川氾濫等の甚大な被害を受けた。当該地区でも宮ケ原橋に流木が閉塞し、周辺家屋20戸が浸水被害を被った。災害復旧助成事業検討開始当初、治水上の課題を解決するために、宮ケ原橋の撤去掛替も選択肢の一つとされたが、多方面からの反対もあり計画は難航した。
アドバイザーの九州大学島谷教授の発案で分水路開削案が出され、入念な水理学的検討に基づき現状案の骨子デザインが決まった。景観や環境上特段の配慮が必要な箇所であることから、河川工学及び景観学の専門家・地元行政区長・漁協・行政関係者等からなる景観検討協議会が設立され、当該地区の公園化等デザインの方向性や配慮すべきポイントが整理された。
その後、地元住民を中心とした多くの利害関係者を募り、計画詳細について協議し、かつ円滑に合意形成を図るためのワークショップを計5回開催した。ワークショップでは、被災者の懸念を解消すると同時に、本事業により当該地区に新たな価値を付加し、よりよい地域をつくるという視点を大切にした。その結果、円満な合意形成を達成し、良好な河川環境と宮ケ原橋は保全・維持されるとともに、被災前以上に多くの人に利用される拠点となる場所が実現した。竣工後、現地は地元住民のみならず多くのレジャー客や釣り人が訪れる新たな名所となりつつある。
災害復旧という厳しい条件のなか、河川拡幅を行わず、新たに分水路を掘削し土地を中島状に残して橋梁を保全するという複雑な事業を選択・実現したことを高く評価したい。
石橋の保全にも、文化施設としてのさまざまな計画・技術的な工夫が施された。新たに整備された橋梁や柵なども、素材の選択や竣工後のエイジングについて丁寧に検討されていることが好印象だった。
新橋の意匠については賛否意見が分かれたが、石橋の歴史の保全を中心に据える本計画では、新たに別の意匠を追加することは「雑味」になりかねない。復旧を実施した時代の技術を反映した、抑えた整備だと理解できる。
分流工事事業の水理学上の成否を判断するには、なお時間の経過が必要と思われる。今回実見した期間中にも、本流・分水路の流況や土砂の運搬・堆積状況は変化していた。この河床変動を許容しうることこそ、星野川中流域の「河相」を反映した整備だと考え得る。災害は当然避けなければならないが、流れの変化を許容しつつ河川の自然環境や生態系を維持する中洲と護岸は、時間の変遷・蓄積に耐える、優れた土木デザインといえる。すでに変化を始めている当地の今後に期待したい。(篠沢)
星野川は自然豊かな山間を流れる河川。この地区の土木遺産である宮ケ原橋(石橋)がランドマーク的な水辺景観を形成している。しかし平成24年に発生した水害により、川の拡幅を余儀なくされたが、単純な拡幅でなく、分水路を新たに形成するという大胆な発想で、治水と土木遺産の保全というふたつの目的の実現を試みた事例である。
被災した石橋の高欄は地元の八女石を使うことにより数年ですっかり元の橋梁になじんでいる。橋台と石積み護岸のすりつけも見事である。練り石積み護岸は高さをあるが、深目地としたことで、今後土が堆積し植生が覆うことによりその高さを緩和するであろう。すでにその兆候はでている。
本川と分水路の流量配分について、実見前には分水路の水量不足を想像したが、実見時はむしろ本川が水量不足となっていた。施工後の出水により本川に土砂が堆積し、分水路に水が流れるようになっていたと考えられる。ダイナミクスを有する川のデザインの難しさを感じさせる事例でもある。この状況も次の出水で変化するであろう。
治水上の課題、土木遺産の保存、自然環境の保全に、災害復旧と言う時間のない中で最大限の工夫をした技術的に、合意形成的に優れた河川デザインとなっている。(中村)