東京都千代田区九段南2-2-18
公園・広場
九段坂公園は、財務省の敷地に昭和40年に開園した千代田区が管理する公園である。開園以降50年が経過し、施設の老朽化や地盤の不陸等が目立ってきており、改修が望まれていた。そのような状況の中で、千代田区は「北の丸公園周辺地域基本構想」を策定し、九段坂公園を北の丸地区の主要なランドマークであるとともに、回遊性を促す場所として位置づけ、整備することを計画した。また、公園西側にあった消防署が解体され、公園の一部となったことから、消防署跡地を含めた一体を新たな公園の範囲を整備することとなった。
本公園は敷地内に約4m強の高低差を有する中でバリアフリーを実現すること、明治初期〜大正初期に建造された2基の銅像(大山巌像、品川弥二郎像)と1基の常燈明台の存置(位置、高さの変更不可)が前提条件となった。公園敷地内の高低差の処理と銅像と常燈明台の存置を両立させるため、公園全体を4段の広場(桜広場、歴史広場、眺望広場、四季の広場)で構成することとし、それぞれの広場が1m以内となるよう公園全体を違和感ない高低差で処理した。また、千鳥ヶ淵側にバリアフリールートを設け、靖国通りの歩道を拡張するような形で歩道を設けることで、公園の南北どこからでもバリアフリーで入ることができる回遊性高い広場を実現している。また、銅像や常燈明台を公園の中心に据えたことや、見晴台の継承、千鳥ヶ淵や東京タワーへの眺望を確保した視点場の創出により、歴史性と景観性に優れた広場空間を実現している。
これまで靖国通りの歩道と公園は分断されていたが、一体的となった整備後は多くの人が自然と公園内に足を運び、公園を利用する風景が見られるようになった。ご飯を食べる人、休憩をする人、散歩をする人、銅像を眺める人など様々な利用が見られ、日常的な憩いの場となっている。
千鳥ヶ淵を望む坂道に沿った細長い公園である。もともと公園であった敷地が拡大され、全面的な改修が行われた。かつての公園の様子を知っていると、驚きの変化である。坂道に沿って続く植え込みという趣きだった場所が、眺望と休憩場所をもった明るいテラスになった。傾斜する敷地のレベル差は階段とスロープに縁取られた複数の平坦面に分けられ、それらが緩い棚田状の小広場を作っている。造形は既存の銅像や樹木に対しても丁寧に行われ、以前からそのようにあったかのような違和感のない様子を見せている。照明や手すり、柵、ベンチ、舗装などの要素も細部までよく検討されている。奇をてらったような意匠はまったくなく、言うなれば「質の高い普通」の公園である。むろんこれは褒め言葉である。千鳥ヶ淵と靖国神社に挟まれた坂の公園にあるべき質であるし、普通さのレベルを上げることがいかに重要でかつ難しいか、少しでも公園の設計に関わった人ならば知っていることだ。こうした古い公園の改修は今後ますます増えていくだろうと考えられるが、これはひとつの良き事例であると思う。(石川)
千鳥ヶ淵に面し,北の丸公園につながる。道の反対側は靖国神社。大変な敷地である。さらに狭小な敷地には約4mの高低差があり,明治から大正にかけて作られた二つの巨大な銅像と1基の常燈明台を存置しつつ,バリアフリーを実現しなければならない。デザインの働きの一つは,課題の解決である。九段坂公園の再整備は,既存の公園が抱えていた課題を丁寧に質高く解決している。例えば,4mの高低差は,銅像が設置されている高さを基準に4段の広場によって処理し,階段の造形によって人の流れをうまく誘導している。土木事業では,まだ一般的ではない施工時のデザイン監理を入念に行った結果,様々なファニチャーのディテールやおさまりも美しい。今まで,深い緑の中に埋もれていた銅像やお堀も,街の風景の中に参加し,散歩の途中で眺めている人々も多い。課題解決のデザインとしての質の高さは,土木デザインのスタンダードとして一つの達成だろう。しかし,課題解決を超えて,新しい体験や気づきを与える場所,豊かな問いを発するデザインになっているかどうか。九段坂公園だけではなく,土木デザイン全体として考えていかなければいけないことなのかもしれない。 (星野)