岩手県陸前高田市気仙町土手影180
震災復興施設(公園、博物館、物販店舗)
2011年3月11日に発生し三陸地域に甚大な被害をもたらした東日本大震災。鎮魂と記憶の継承を旨に、国土交通省東北地方整備局によって岩手県、宮城県、福島県に国営復興祈念公園の設置が決定、岩手県陸前高田市に高田松原津波復興祈念公園を整備することとなった。
全体構想の立案に高田松原津波復興祈念公園景観検討会(篠沢健太・平野勝也・内藤廣) が設けられ、公園設計をプレック研究所、道の駅及び伝承館の設計・監理をプレック研究所・内藤廣建築設計事務所設計共同体が担当した。
公園設計に際しては、震災の記憶を次世代に引き継ぐ一方で、今なお悲惨な記憶を思い出したくない心境にも配慮したランドスケープデザインが求められた。様々な行政の縦割りがあり、公園、道の駅、伝承施設、人道橋、防潮堤と異なる行政管轄課題を統合してまとめ上げることが最重要であった。また、追悼・祈念のあり方は人それぞれであることをふまえ、来訪者が一様に気持ちを静めて祈ることができる場所(海を望む場)を設えた。
デザインコンセプトとしては震災遺構を包み込む「大きな包摂線」と国立の追悼エリアを包む「小さな包摂線」を定めて、それらをつなぎ海へと向かう軸線を「祈りの軸」とした。
一方、隣接する旧道の駅(タピック45)、伝承施設、新しい道の駅をつなぐ軸線を「復興の軸」とした。
ふたつの軸線の交点に水盤、その直上には光が差し込む開口を設け、海に向かう道行きの中途に式典広場と献花の場、更に人道橋を渡って進んだ防潮堤の先端に「海を望む場」を設えた。
「大きな包摂線」は「街と防潮堤が和解する」ための緩衝材、「小さな包摂線」は「過去への祈りと未来への願いが和解する」ための場を醸し出す。「祈りの軸」が「人と自然が和解する気持ち」 に寄添い、「復興の軸」が「亡くなられた方たち(過去)とこれからを生きる人たち(今・未来)とが 和解する気持ち」に寄添うよう、祈りを込めて本事業に取り組んだ。
現地に立ち、「水盤」越しに「祈りの場」へと目を向けたときの印象は圧倒的だ。道の駅と伝承館を擁する建築と、残されている震災遺構や松の木のモニュメント、そして正面に立つ防潮堤、それらが「軸」という古典的ながら強力な方法でひとつに結び付けられている。「式典広場」から「海を望む場」へむけて真っ直ぐに歩いてゆくと、この歩みがまさに祈りであり、これが祈りの軸と名付けられている所以が理解できる。全体の強い造形だけでなく、歩き回るほどに、建築をはじめとする公園内の施設の舗装や擁壁、排水溝に至るまで素材や意匠が丁寧に検討され作られていることがよくわかる。
防潮堤は、対象地域の防災を地域一律の仕様に読み替えて一度に解決することを目論んだ施設である。その工学的な意味と実空間の個別の事情との齟齬が「巨大」な風景をつくる。その良し悪しは別として、これは土木の本質がわかりやすくあらわれた例だと言えるだろう。そして、この公園はその防潮堤をもう一度読み替えている。ここに身をおいた時に私たちの身体スケールと防潮堤のスケールを接続している要素が軸である。防潮堤と直行する軸と、周囲の震災遺構を抱き込む曲線によって風景に輪郭が与えられている。軸はあくまでも観念だが、施設の造形が軸を示唆する強度をもって風景を強いルールで律しているように感じられる。
もちろん、これによって巨大な防潮堤の有り様を是とするものではないが、その点について提起された問題も含めて優れた土木デザインとして称賛し記録するに相応しいプロジェクトである。(石川)
実に美しい建築である。PCコンクリートの硬質さと木の柔らかさがもたらす質感の対比には緊張感がある。ディテールの精度も極めて高い。そのことだけで、ここが特別な場所であることを教えてくれる建築だ。プログラムの配置においても、日常性の延長上にある駐車場や道の駅と、その背後に出現する広大な空白との対比は、印象深い。この空白地帯は、皮肉なことに震災後につくられた防潮堤という土木構造物の存在によって、より際立った空間性を獲得している。加えて追悼祈念施設がとかく垂直性によってその象徴性を獲得してきたのに対し、水平性で応えているところも、この計画を特異な存在にしている。こうした空白性、水平性は、言うなれば神社仏閣の空間にも通じる極めて日本的な象徴性の体現でもある。非の打ち所がない完成度である。
と同時にこの完成度は、実に多くの宿題を未来に向けて投げかけているようにも映る。賛否両論のあった防潮堤すらその象徴性の一翼に取り込まれていることは、復興過程で下された数多くの決断の成否を未来に委ねているようでもあるし、また形式性の強い空間は、いずれ社会の中で薄らいでいく記憶に抗うかのようでもある。追悼祈念という行為は、本来は極めて私的な体験と地続きで沸き起こるものだが、その場がこのように公共的な空間として整備されたことは、未来の社会がこの場をどう生かし、再び私的な語りへと接続していくのか、その道筋を問うているようでもある。こうした様々な次元での含みこそが、この計画の放つ最も強いメッセージなのだろう。(千葉)
※掲載写真撮影者は左から1-4・6枚目が吉田誠