選考委員による総評

総評2020

  • 中井 祐
    東京大学大学院工学系研究科(社会基盤学専攻)教授
    景観・デザイン委員会 デザイン賞選考小委員会 委員長
    土木のデザインとしての必然性
    2020年度は、総数20件の応募をいただいた。7月17日の第一次書類審査で実見審査の対象15件に絞り、さらに10月6日の第二次審査において、担当審査委員(複数)による現地視察報告をもとに議論し、最優秀賞3件、優秀賞4件、奨励賞5件を選定するに至った。選外となった作品も含め、応募くださったすべての関係各位と、本賞に協賛いただいた団体各位に、まずは心より感謝申しあげたい。そして受賞された方々には、祝意とともに、満腔の敬意を表したい。

    今年度の応募書類とリストを最初に眺めたとき、対象の多様さと一様な質の高さに、むずかしい選考になりそうだという予感が走った。個性的な作品群にわくわくしながらも、とくに最優秀賞は、これが土木デザインにこそできることなのだ、と語ってくれる作品に授賞したい、また受賞作全体として、対象やアプローチの多様化が進む現在の土木デザインをとりまく状況が端的に感じられる結果になってほしい、そんな思いを抱きつつ審査の場に臨んだ。侃侃諤諤の議論をまとめるのはけっして易しくはなかったが、しかし終わってみれば、審査の過程を通じて、委員会としての判断がおおきく割れたり、あるいはブレるような展開にはならなかった。とりわけ最優秀の三作はいずれも、審査委員から満票もしくは満票に近い支持を受けた。すぐれて土木らしい思想や技術の結実であることに異論はでなかった。
    たとえば今回一人の審査委員として、実見を担当した作品のひとつが山国川だった。応募書類の内容から最優秀の有力候補かと思って視察におもむき、じっさいおおいに感銘を受けた。ただ個人的に、一部ディテールデザインの無視できない傷の存在がひっかかって(その内容は個別の講評で後述)、議論の場でも積極的には最優秀に推せずにいた。しかし議論の最後、ひとりの委員の「これこそとても土木らしい(=土木ならばこそできる)仕事だと思う」ということばに、委員がみな頷いて、大勢が決した。
    ではこのときみなが頷いた土木らしさとはなんだったのか。すぐれたデザインは、それが必然的な解であることをおのずから語るものである。ただし、語るのはデザイナーではない。むしろ、デザイナーの自己主張や理屈っぽさのような体臭が抜け落ちたその先に、必然性の所在がある。とりわけ土木の場合(といってよいと思うが)、その場所なり環境を成立させているより高次の時空間、その空間を包みこんでいるひとまわりおおきな自然的・人文的・歴史的文脈が、そのデザインの必然性を語るのである。それを、当のデザインの奥にあるよりおおきなパブリック、と言うこともできよう。たとえば山国川なら、あたかも耶馬溪という風景全体が、耶馬渓という景勝を成り立たせている空間と時間の広がりが、これがここでのありうべきデザインなのだ、と静かに語るのである。
    今回の最優秀作の東京駅前・行幸通りも東部丘陵線も、山国川同様、当該デザインの必然性を語るより高次の主体の存在を感じさせる。いずれも周囲の空間の、環境の、風景の特性や価値を把握し、尊重し、引き出そうとする謙虚な姿勢から導かれた仕事である。その作為があるからこそ、むしろ周囲の魅力や価値に気づかされる、そういうデザインである。それが自然に了解されるからこそ、共感とともに頷かされる。
    振り返ってみれば、最優秀賞より優秀賞の、優秀賞よりも奨励賞の作品の評価において、「なぜこの場所で、このデザインでなければならなかったのか?その(土木デザインとしての)必然性は?」という疑義をともなう議論が、傾向として多かったように思う。もちろん、あくまで、今回は結果的にそういう議論になった、ということである。来年もおなじ議論になるとはかぎらない。賞の重要な役割は、答えを限定してデザインの価値を閉じ込めることではなく、むしろ問いを導き、デザインの可能性を社会に開くことにあると考える。そしてその問いは、審査員の思想信条によってではなく、応募作が人間・社会・環境にたいして問いかける中身から導かれるものだろう。だからこそ、今回応募してくださったすべての関係者に、あらためてこころから御礼申し上げたい。また、引き続き来年度以降も、積極的な応募をお待ちしたい。
  • 石川 初
    慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科 教授
    「できたもの」の先に
    昨年度に引き続いていくつもの素晴らしいプロジェクトを実見する機会を得た。応募された皆様ありがとうございました。
    土木をデザインから批評することの意義は、デザインという観点から土木の領域を描き直す試みであると同時に、土木ならではの観点から建築や都市計画や造園/ランドスケープのデザイン概念を再考することにある。私はランドスケープデザインの専門家として選考に関わっているが、本賞の意義からすれば、ここで造園/ランドスケープのプロジェクトを俎上に載せることの価値は土木に造園の議論を持ち込むことではなく、土木の視点からランドスケープでは思いもよらない評価をし、それを通じて土木の視野も広げるような語彙を増やし、また鍛えることだ。その点において、審査の議論の場で審査委員長から示された「感心・感動」という指標は、一見素朴な表現ながらとても有効な補助線となった。土木プロジェクトは問題解決の方法としてあらわれるが、エンジニアリングとしてだけではなく、その場に身をおいた人の心をつかむ景観を呈し、風景をなすことが求められる。解決を超えた提案が私たちの国土の質を高める。ゆえに、土木は「できたもの」だけを評価するのではなく、その先に「おきたこと」も含む「できているものごと」においてそのデザインが評価されねばならない。本賞への応募規定は「竣工後1年以上経過したもの」となっているが、今後、たとえば「公開後3年以上経過したもの」などにしてもよいのではないかと思う。「竣工」ではなく「公開」後にその土地とどのように関係を結んでいるかが数年後に評価される。今回、高評価を得たものには、そのような時間スケールが相応しいプロジェクトが多くあった。
  • 萱場 祐一
    (国研)土木研究所 水環境研究グループ長
    公共空間における「らしさ」の視座
    令和2年の選考では、作品を評価する視点について議論を深め、作品の価値を慎重に精査するプロセスに相当な時間を費やした。この中で、公共空間をデザインする場合の地域の“らしさ”をどのように尊重するかは、幾つかの作品に共通した、そして、重要な視点となったような気がする。当然のことではあるが、公共空間のデザインには、地域固有の“空間の履歴”を読み解き、時間的な連続性を考慮することが多い。また、地域で生活をする人々、地域外から当該地域を見守る人々の中に醸成されてきた、その地域の“らしさ”も公共空間をデザインする際の必須の要素となる。一方で、公共空間そのものには「使いやすい」、「強い」、「美しい」、「持続可能な」等そこに求められる機能を充足する必要があるし、新しい思想、発想、技術により斬新なデザインが持ち込まれることもあるだろう。“空間の履歴”や“らしさ”のみに傾斜した公共空間が地域を豊かにするとは限らない一方で、“機能”や“斬新さ”のみに重きを置いた公共空間は地域への誇り・愛着、地域のブランド力を低下させ、地域の発展に繋がらない場合もあるだろう。もちろん、この両立の中に公共空間のデザインはあるべきだろうが、この両立には相当の技量が試されることも多いのだろうと思う。そして、川や都市、当該地域が持つ歴史の長さ・重さによって「らしさ」への尊重の度合いは変わってくるに違いないし、「らしさ」を超えたデザインを志向することにより地域に新しい風を吹き込み、地域の展望が拓けることもあるだろう。令和2年、公共空間における「らしさ」を改めて考える機会となった。全ての応募作品に敬意を表したい。
  • 千葉 学
    東京大学大学院工学系研究科建築学専攻 教授/千葉学建築計画事務所
    土木デザインの可能性
    初めて土木学会デザイン賞の審査に参加させて頂いた。土木という公共性の高い領域、インフラと呼ばれる人々の生活基盤、そのような分野で「デザイン」はいかに解釈/期待され、また何がその良し悪しの基準になっているのか、とりわけ建築における「デザイン」との距離も含めて興味を持って臨んだ。
    全体を通じて印象に残った点は、大きく二つある。一つは、自然への介入によって自然の様相を鮮やかに炙り出す視点である。自然を凌駕することのない適切な介入は、自然の多様な側面に多くの気付きをももたらしてくれる。こうしたデザインは、身近な環境や地域への愛着など、広く環境問題にも繋がる回路を生み出すことにもなるだろう。「山国川床上浸水対策特別緊急事業」が、川という線形空間が各地域で出会う個別の課題に対し融通無碍に応答し、領域一体を魅力的な場に転換したことはその象徴である。もう一つは、いわゆる「デザイン」が限りなく背後に遠退くような姿勢である。声高に形態や素材やディテールを叫ばずとも、場所の潜在的な価値を発見できるデザインと言ったら良いだろうか。都市における貴重な空白を空白として残した「東京駅丸の内駅前広場及び行幸通り整備」はまさにその実践だが、「浅野川四橋の景観照明」も同様な試みだと思う。都市の発展、賑わい、安全性にとって明るさは是だと信じられてきたが、むしろ都市においては闇こそ価値である、そう気付かせてくれた作品である。
    つくれば何でも成功した高度経済成長モデルの転換は今や必須のことだが、その過程で失った数多くの価値を掘り起こすことも、これからの土木デザインの大きな役割なのだと思う。その可能性に、これらの作品群は様々な観点で迫っていたと思う。
  • 長町 志穂
    (株)LEM空間工房 代表取締役/大阪大学大学院 非常勤講師
    土木デザインの視座とは
    多数の応募のあった本年は、あらためて土木デザインに求められる価値の多様性を感じる年となった。人が住まい、活動する基本のインフラを担う土木デザインは、骨太な全体像と繊細な人に対するインターフェースを兼ね備える整備が増々求められている。最優秀賞となった「山国川床上浸水対策特別緊急事業」は、広域の河川域を災害対策として緊急に整えるという課題に対し、場所性を読み解き、時に生活者に、時に来街者に向けて、文化的な文脈を失うことなくすべての領域を繊細にデザインしており、関係者の知力と情熱に感服した。近年、水害に伴う河川域再整備が頻発する中で、どのように風景を創っていくのか土木の教養が試されているともいえるだろう。一方「八の字堰」は、自然環境の再生保全に対する土木デザインの挑戦であり、歴史資料から学んだ堰をアユの育成に向けて整備したものであった。風景に溶け込み陽光に輝く堰は、本来の用途だけでなく地域の活動のきっかけや観光資源ともなっており、日本中で模索されている自然環境再生とその景観魅力の活用に対しても、多様なアプローチがあることを感じさせた。また、人が集まり使いこなす小さな場所づくりが、各地で活況となっており多数の応募があることも土木デザインの未来を示唆している。「虎渓用水広場」は地域の治水の歴史の上に今日的なアプローチを重ね合わせ、圧倒的な地域住民の使いこなしが日常的に行われていた好例である。人々の使いこなしや日常の景を想定したパブリック空間の創出は、基礎的インフラにとどまらない新たな河川・道路・広場等あらゆる土木デザインの1つの指標となりつつあり、珠玉のプロジェクトが各地で展開されている状況に土木の未来の可能性を感じている。
  • 丹羽 信弘
    中央復建コンサルタンツ(株) 構造系部門 技師長/京都大学工学部 非常勤講師
    コロナ禍でのデザイン賞
    2000年にスタートしたデザイン賞20周年の2020年の夏は、東京オリンピックで日本中が沸き立っている最中での実見となることを年の初めに想像していたが、新型コロナウイルスによって状況は一変し、委員会の開催はWEB会議でのスタートであった。幸いにも新しい生活様式が日常化し、夏以降の実見と最終二次審査は対面での議論で栄えある受賞作品を選ぶことが出来た。
    今回デザイン賞に応募いただいた社会基盤作品は、河川・ダム・道路・街路・橋梁・広場・公園・建築・照明と、広範囲なものから単体構造物まで多岐にわたった。土木・公共施設として、立地条件も様々で厳しい制約条件や困難な事柄に、エンジニアリングデザインのチカラでこれを読み解き解決し、素晴らしい公共空間を提供する作品達であった。
    土木は自然災害を未然に防ぎ、人々の暮らしを安全・快適・豊かにする使命から、土木のデザイン賞には、細部に渡るデザインのクオリティーの高さと同時に、広く社会インフラとしての価値、まちや地域への貢献、公共性を求めた。
    最優秀賞を受賞した山国川やLinimoは5年間という短時間で、10km程の区間を対象に調査・計画・協議・設計・施工を行ったもので、時間が無いからとは言い訳させない美しいインフラ整備への見本となる作品で、東京駅前は首都の玄関口として申し分ない風格である。惜しくも受賞を逃した応募作品も、設計者が丹精込めてデザインされたものであり、誇るべき社会インフラである。
    今年で3年目の任期最終年、これまで多くの応募作品を実見させていただき、その場に立って対象を観て体感し、発見・興味・驚き・落胆・感動・憧れ・興奮・嫉妬した幸せな任務であった。これからの土木インフラ整備が更に良質なものとなるよう願っている。
  • 八馬 智
    千葉工業大学創造工学部デザイン科学科 教授
    時間と場所のものさし
    7月に開催された一次審査では、今回の選考は判断が難しくなりそうだという印象を抱いた。領域を横断するような対象が多く、審査に用いる「ものさし」の質をより高めなければ対応できないと感じたためだ。それは、「公共のデザイン」とはなにかという問いに直結する。さらに、新型コロナウイルスによって大きく変動している価値観を、どのように解釈して審査に反映させるのかという問題も、必然的に加わった。
    実際に、いくつもの対象を実見するにあたり、これまで以上に想像力を働かせる必要が生じた。利用者の動きを予測するために、可能な限り長時間かつ複数日で実体験することを心がけ、利用者や近隣住民から話を伺うことも丁寧に行った。そうすることで、自分の見方も一段階引き上げることができたように思う。その甲斐あってか、10月に開催された二次審査での議論は、それぞれの選考委員の見解をぶつけ合い、共有しながら、楽しく議論することができた。
    あらためて受賞作を概観すると、審査の「ものさし」の核には時間と場所が大きく影響していたように思える。もちろんクオリティも重要であることは間違いないが、その洗練の度合いを超えて、時の試練に耐えながら価値を高めているか、その環境を読み込んで適切にローカライズされているかが大きなテーマだったと言えそうだ。それらが高い水準に到達している対象が優秀賞に選定されている。さらに、固有の視点や価値観を内包し、多方面に大きなメッセージを発信しているものが最優秀賞として選定されている。
    ますます社会の価値観が変動していく中で、公共のデザインのありようを議論し続けることの意義を、この賞の選考を通じてあらためて感じた。